【無料公開】特別座談会「スタンド目線で語る20年前の歓喜」 サポーターはジョホールバルで何を見たのか?<1/2>
成田宏紀氏提供
■キックオフまでの4時間をどう過ごしたか?
――みなさんラルキン・スタジアムに到着したのは何時ごろでしたか?
山根 試合開始の4時間ぐらい前に着いていましたね。まだ明るかったです。
成田 けっこうキックオフまで時間があったはずなんだけど、どうやって時間を潰していたのか記憶がないですね。気持ちが試合の方にいっていて、そういう余裕なんかまったくなかったのかもしれない。
大場 時間を潰せるようなお店がなかったですよね。ちょっと離れたところに、ビニールの掘っ立て小屋みたいな屋台がひとつだけあって。
石井 僕もそこに行きました。あんまり清潔な感じのお店じゃなかったですよね。途中、スコールでびしょ濡れになったのを覚えています。
山根 スタジアムの周りは本当に何もなくて、日本人のサポーターがぐるっと一周するような感じで行列を作っていましたね。私たちは試合で使う紙吹雪を作っていました。
石井 当時は国立競技場でも紙吹雪が大丈夫だったんですよ。あと、青いゴミ袋を使うようになったのもこの頃でしたね。膨らませて応援に使ったり、試合が終わったら紙吹雪の回収に使ったり。
山根 これ(といってゴミ袋を取り出す)、あの時に持っていったものです。
――え、20年前に? 山根さん、すごく物持ちがいいですねえ(笑)。そういえばこの頃のゴミ袋って、まだ半透明じゃなかったんですよね。時代を感じます。
住吉 僕が待ち時間で記憶しているのは、とにかくトイレの行列がすごかったこと。特に女性は大変だったと思います。男性用が空いていたから「ここ、入っちゃいなよ」って教えてあげたのは覚えています。
――皆さん、この時は代表のレプリカを着ていたんですか?
石井 着ていましたね。
成田 僕はレプリカを買えなかったので、青いTシャツを用意して行きました。
山根 私は中田(英寿)のネーミングが入ったトレーニングウェア。レプリカではなかったんですけど、青い炎が袖に描かれているオフィシャルのやつです。でも2006年のワールドカップの時に、クロアチアの小学生と交換しちゃいました。
大場 私は会社が取引していたベルマーレの人から、「これを持っていきなよ」って言われて、呂比須(ワグナー)の代表っぽいシャツを着ていました。ブルーで日の丸も入っていて。今ではあり得ない話なんですけど、当時はクラブでも、そういう代表っぽいのを作れたんですよ。
――スタジアム入場はキックオフ何時間前でした?
石井 2時間前くらいでしたよね。
成田 僕らは同じゴール裏の席でした。ちょうど岡野がゴールデンゴールを決めた反対側。
住吉 僕はこの試合がサッカー初観戦だったんですが、いつもTVで見ているのと違って、ピッチの幅がこんなに広いのかと初めて知りましたね(笑)。
大場 私は帰りの飛行機に間に合わせるために、とにかくゲートに一番近い席にしようと。試合も大事だけど、無事に飛行機に乗ることで頭がいっぱいでしたね(笑)。
――そして21時、ようやく試合開始のホイッスルが鳴ります。
山根 とにかく待つ時間が長かったので「やっと始まったか」という感じですね。チケットを持たずに日本を出ていますから、ようやくこの瞬間を迎えられたことに感無量で、この時点ですでに達成感がありましたね(笑)。
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