宇都宮徹壱ウェブマガジン

宮崎でイシさんに話を聞いてきた! J2最終節の記憶と地域CLへの想い

 11月19日のJ2リーグ最終節は大分にいた。現地では撮影とインタビューの仕事があり、3日間の滞在と相成ったのだが、その間にちょっと宮崎にも足を延ばしてきた。「ちょっと宮崎にも」と書いてはみたが、実のところ九州は広く、隣県だと思ってなめてかかるとえらい目に遭うことになる。いろいろ調べてみると、列車ではなくバスが早くて便利ということはわかったのだが、それでも片道3時間半はかかる。朝の8時に大分を出て、宮崎で1時間半のインタビュー取材を行ったが、バスの本数も限られていたので、戻ってきたのは21時。たっぷり丸一日かかってしまった。

 今回、宮崎まで足を延ばして誰にインタビューしたかといえば、察しのいい方ならもうおわかりだろう。テゲバジャーロ宮崎の石崎信弘監督、通称「イシさん」である。イシさんといえば、これまでさまざまなJクラブで指揮を執ってきたことでつとに有名だ。旧JFL時代のNEC山形(のちにモンテディオ山形)を皮切りに、大分トリニータ(99~01年)、川崎フロンターレ(01~03年)、清水エスパルス(04年)、東京ヴェルディ(05年)、柏レイソル(06~08年)、コンサドーレ札幌(09~12年)、そして山形(14~16年)。13年には中国の杭州緑城にいたが、それ以外は1シーズンも途切れることなくJリーグで監督業を続けてきたのは、ある種の偉業と言ってよいだろう。

 そんなイシさんに今回インタビューすることになったのは、スポナビで連載中のJリーグ25周年企画で、J2リーグが開幕した1999年について振り返っていただくためだ。99年当時、イシさんは大分の監督だったが、このシーズンの昇格枠は2枠。そのうち1枠は最終節を前に川崎が確保していたため、もう1枠を2位の大分(勝ち点62)と3位のFC東京(同61)が争うことになった。最終節は大分がホームで山形と、FC東京はアウエーでアルビレックス新潟と対戦。結果はFC東京が1-0で勝利し、大分が1-1で引き分けたため、逆転でFC東京がJ1昇格の切符を手にした。今回はイシさんに加え、当時FC東京の監督だった大熊清さんにもお話を聞いている。

(残り 1983文字/全文: 2877文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ