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ポーランド戦が行われるヴォルゴグラードってどんなとこ?  改訂版『どこよりも早い!2018ロシアガイド』服部倫卓(文・写真)

■かつて「スターリングラード」と呼ばれた街

 日本ではしばしば「沖縄戦が太平洋戦争で唯一の本土地上戦だった」と語られる。考えてみれば、第二次世界大戦におけるソ連の「大祖国戦争」、すなわちナチス・ドイツとの激闘は、ほぼ全面的にソ連本土における地上戦だった。ソ連国民が味わった辛苦は、察するに余りある。そんな中でも、人類史上最大と言われる市街戦が戦われ、ソ連・ドイツ双方に膨大な犠牲者を出したのが、かの有名なスターリングラード攻防戦である。

 スターリングラードは、現在はヴォルゴグラードに名前を変え、2018年のワールドカップの開催都市のひとつにもなっている。日本代表の第3戦、ポーランドとの試合の会場に決まった。ヴォルゴグラードは大都市とはいえ、今日のロシアの経済やサッカーにおいて、それほど存在感が大きいわけではない。そんな街が開催地に選ばれたのは、やはり当地が大祖国戦争の苦難と栄光を象徴する聖地であることと無関係ではないだろう。

 ロシア南部、ヴォルガ川の下流域に位置する工業都市が、ヴォルゴグラードである。帝政ロシア時代には「ツァリーツィン」と呼ばれていたが、1917年の社会主義ロシア革命直後の内戦期に、まだ中堅幹部だったヨシフ・スターリンがこの街で反革命派の掃討に活躍したことから、彼の名前をとって1925年にスターリングラード(スターリンの街)と名付けられた。

 1941年6月に勃発した独ソ戦では、ドイツ軍の奇襲に圧倒され、緒戦でソ連軍は敗走を続けた。しかし、ドイツはモスクワを攻略することには失敗し、戦線は膠着することになる。戦争長期化を覚悟したヒトラーは、ソ連南部のコーカサス地方を占領して、バクーなどの石油資源を奪おうと考えた。そこで、ブラウ作戦を発動し、1942年6月からソ連南部への攻勢をかけた。その一環として、軍需産業の集積地であり、ヴォルガ川などの交通の要衝でもあるスターリングラードの攻略を目標に据えた。これをソ連赤軍が迎え撃ち、人類史でも屈指の凄惨な戦いへとなだれ込んでいくのである。

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