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なぜ長崎の番記者は「出禁」となったのか? 藤原裕久(ライター)インタビュー<2/2>

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■「選手との約束」だった設立10周年のOB戦

──ある意味、クレイジーなサポーターだった藤原さんが、書き手に転身したタイミングはいつだったんでしょうか?

藤原 はっきりしないんですが、V・ファーレンのフリーペーパーを作るようになってからだと思います。ちょうどJFLに上がったときにV-ist(ヴィースト)というチームを立ち上げたんです。V・ファーレン長崎支援会は完全ボランティアですが、V-istはある程度お金をやり取りができるような組織に設定したんです。で、いろいろ活動している中のひとつに、マッチデープログラムを作ることになって。

──クラブが作るのではなく、サポーターが勝手連的に作るという感じですか?

藤原 そうです。クラブがお金を出さなくても、自分たちで広告を取ってくるし、記事も自分で書くからタダだし。そのあとイヤーブックも自分たちで作って「製作費はこちらで負担するから、販売は認めて欲しい」ということをクラブと契約書を交わしたりもしました。本来、クラブが作りたかったものを、われわれで作ってしまおうという感じでしたね。

──編集も藤原さんが担当されていたんですか?

藤原 そうです、全部やりました(笑)。ホームページを作ったときもそうだけど、必要に迫られたら集中してやりながら覚えていくという感じですね。あとはJ2に昇格してからは、在京のライターさんたちからいろいろノウハウを教えていただいたのもありがたかったです。昇格といえば、J2昇格記念特集もV-istで作りましたね。500部作ったら2日間で完売しました。もっと作ってもよかったんだけど、予算的には500が精いっぱいでした。

──V-istでの藤原さんの活動はいつまでだったんでしょうか?

藤原 2年前ですかね。クラブ設立10周年の時に、OB戦をやったんですが、あれがV-istでの最後のデカい仕事でした(参照)

──OB戦ということは、それこそ九州リーグ時代のメンバーにも声をかけたんでしょうか?

藤原 そうです。そこもクラブと交渉して「OKを出してくれれば、面倒な作業は全部こちらでやります」と。ですから、出場選手の選考から交渉から全部やって。当然、お金もかかる話なので「いくら準備したらできますか?」と聞いたら、「100万円くらい出してくれれば、あとはクラブで負担できる」という話でしたので、こちらはスポンサーや協賛を集めまくりました。

──運営費以外にも、OBたちの交通費や宿泊費も必要になりますよね。

藤原 もちろんです。彼らには一文を出させるわけにはいきませんでしたから。宿泊に関しては、クラブのほうで頑張ってもらったので助かりました。

──クラブ設立10周年で何かイベントをやるというのはわかるんですよ。でもなぜ、OB戦というものに藤原さんはこだわったんでしょうか?

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