この時期「手塚治虫」について考える理由 宇都宮徹壱WMの2018年を考える<前篇>
2018年の幕開けは、いつものように天皇杯決勝の取材から始まった。元日に現地での取材を終えて、自宅に戻ってからはひたすらコラム執筆に集中する。明け方にいったん仮眠をとって、翌2日の午前10時までにスポナビ編集部に入稿。昼までに若干のやりとりをして、午後イチで自分のコラムが無事にアップされたことを確認してから、ようやく実家でおせちとお酒を味わう。そんな正月を、ここ15年ほど続けている。
そんなわけで、世の中の流れから1日遅れですっかり正月モードに浸っているのだが、それでも当WMでのアップを休むわけにはいかない。今年最初のコラムは、元日に予告したとおり、2017年の反省と18年の抱負について語ることにしたい。本来ならば、会員が知らなくてもいいような愚痴めいた話も出てくるが、今後のWMの運営について私が何を考えているのか、この機会に知っていただいたほうがよかろうと判断した。ご理解いただければ幸いである。
なお、今回アップした写真は、3年前の夏に青森県立美術館で撮影した「あおもり犬」(参照)。今年は戌年ということでチョイスしたまでで、本稿とはあまり関係ないことを申し添えておく。
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