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もし松岡修造がJクラブのフロントになったら 『修造部長』著者、鈴木英寿インタビュー<2/2>

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■ヴォスクオーレ仙台の経営が「失敗だった」理由

──この『修造部長』で非常に生々しく描かれていたのが、資金調達の話です。おそらくこれも鈴木さんのご経験、それもヴォスクオーレ仙台時代のものだと思うのですが。

鈴木 おっしゃるとおりです。実は福島ユナイテッドの時は、ある程度の収支が見えていたので、そんなに苦しい経営ではなかったんですよ。それに前の経営陣が残したベースがありましたし、JAグループとか東邦銀行といったメインスポンサーも離れなかった。加えて僕自身、ベガルタで培ってきたノウハウをダイレクトに注入することもできましたし。ただしヴォスクオーレに関しては、福島以上にミッションインポッシブルでしたから。

※(ここでヴォスクオーレ仙台に関するオフレコ話が続く)

──いやー、すごい話ですね。ここでは書けない話ばかりだ(苦笑)。

鈴木 おそらく週刊誌メディアとかに回した方がいい話ですよね(苦笑)。もちろん、業界の人なら周知のはずなんですが。ヴォスクオーレに話を戻すと、競技力では東北リーグ2位で(Fリーグの下の)準会員リーグの中でも強くない。しかも財務に関しても、僕が来る前はデタラメなことがまかり通っていたわけです。それで最初はアドバイザーで入った地元・仙台市出身の僕が、ヴォスクオーレの社長になったというのが経緯です。

──まさに火中の栗ですよね。

鈴木 そうですね。火中の栗を拾わないという、勇気や優しさもあり得たと思いますよ、正直なところ。仙台ではベルフィーユという女子バレーボールのチームが消滅しているのですが、仙台の経済界縮小傾向にありますからね。

 僕がいなくなってからのヴォスクオーレも、頑張っているとは思うのですが、決して安心できる状態ではないはずです。僕自身、安定的な経営ができる会社にしようと2年間頑張りましたが、在任中の経営は今から見れば失敗だったと思っています。もちろん代表取締役でしたから、すべての責任は自分にあると反省していますが。

──どのあたりで失敗したとお考えですか?

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