写真で振り返る川崎フロンターレ激闘史 「番記者・エトーに酒を飲ませる会」より<2/2>
<1/2>はこちら
■多摩川クラシコに「乗り気でなかった」FC東京
――今度は07年。ようやく10年前ですよ。これは海外ですね。
江藤 そうです。この年、川崎は初めてACLに出場したんですよね。これはインドネシアのアレマ・マラン戦です。
――クラブの番記者として海外で取材するのって、新鮮だったのでは?
江藤 あの時は新鮮でしたしね。これがACL初戦だったんですけど、平日の昼間に試合があって、スタンドにびっくりするくらい人が入っていたんですよ。
下田 これ、すごいね!
――この頃の日本のACLって、まだホームゲームがガラガラでしたよね。ところがインドネシアだと、平日の昼にこんなに人がいるっていうのがまずすごい(笑)。
江藤 本当にサッカーが大好きなんですよ、この人たち。スタジアムに入れなくて、木によじ登って何とか見ようとしている人もいましたから。
――川崎のACL初挑戦は、イランのセパハンに敗れてベスト8で終わりましたが、当時としては大冒険でしたよね。次の写真、これは川島永嗣?
江藤 そうです。誕生日のお祝いで卵をぶつけられているところですね。
――当時、川島が日本代表の正GKになる片鱗みたいなものって感じていました?
(残り 4025文字/全文: 4525文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ