宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】欧州サッカーがグローバル化で得たものと失ったもの 片野道郎(ジャーナリスト・翻訳家)インタビュー<1/2>

■アブラモビッチは「オリガルヒ」最後の生き残り

──この20年、ヨーロッパが世界のフットボールの中心地であることは間違いない。ですが、本書ではそれに影響力を及ぼそうとしている国々として、ワールドカップ開催国となったロシアとカタール、そして世界を二分する大国であるアメリカと中国について多くのページが割かれています。そこで今回は、この4カ国の欧州サッカーに対する思惑や戦略を探るべく、執筆中に知り得たさまざまなサイドストーリーを伺えればと思います。

 まずは今年のワールドカップ開催国である、ロシアから始めましょうか。さまざまな意味でポリティカルな大国であり、サッカーの世界では「ヨーロッパ」なんですけど、EU諸国とは明らかに異なる文化と価値観を育んできた国でもあります。片野さんはロシアでワールドカップが開催されることに肯定的ですか?

片野 肯定も否定もないです。ロシアはそれなりの大国で、ビッグイベントをオーガナイズする力は持っていますから、運営面での失敗のリスクは少ないでしょう。また国内的にも、スタジアムをはじめさまざまなインフラが普及・発展していくことを考えれば悪いことではない。成功すればロシアサッカーの発展が期待できると思います。ただ4年前のソチ冬季五輪のように、今回のワールドカップもさまざまな政治的・経済的な思惑があるわけで、そのあたりについては少し心配しています。

──ロシアからの欧州サッカーへの接近ということで言えば、03年にチェルシーを買収したロマン・アブラモビッチが嚆矢であったと思います。ソ連崩壊の混沌の中からのし上がり、時の権力者であるエリツィンやプーチンを上手く利用しながら大富豪になったわけですが、この本でもアブラモビッチの半生を振り返っていますね。

片野 すごく興味深い人です。いわゆる「オリガルヒ(ロシアの新興財閥資本家)」がプーチンによってどんどん潰されていく中、彼だけが生き残っているんですよね。そこがまずすごい。おそらく誰も何も信じない、ニヒルな注意深さがそうさせているんだろうけど。

──チェルシーのオーナーに収まるまでは、けっこう謎の人だったみたいですね。

片野 というか、チェルシーを買うまでほとんどロシアでも顔が知られてなかったみたいです。それでさんざん権力者を利用しながら資産家になって、国内で身の危険を感じるようになると、逃げ切りの手段としてチェルシーのオーナーになったという。

──もともとサッカーファンではあったけれど、プレミアのクラブを買収したのには止むに止まれぬ事情もあったということですよね。

片野 ただ実際問題として、ベルルスコーニ一族がミランを手放したことで、いわゆるパトロン型経営をしているビッグクラブというのは、アブラモビッチのチェルシーだけになりましたよね。マンチェスター・シティやPSG(パリ・サンジェルマン)は、アビダビやカタールの国家的な戦略に基づいて運営されているけれど、チェルシーは資産家個人がパトロンとして所有している。しかも、ある時から過剰な投資もやめて、ファイナンシャル・フェアプレーの枠の中できちんと経営している。買収から15年が過ぎて、きちんと継続することで、欧州のフットボールコミュニティの一員として定着しましたよね。

──もう15年になりますか。そこはきちんと評価されてしかるべきですよね。一方でロシアの欧州サッカーへのアプローチとして、天然ガスなどのエネルギー政策が色濃く影響しています。詳しくは本書に譲りますが、ガスプロムとサンクトペテルブルク市とプーチンの関係というのは、私も『フットボールの犬』で取材しているので非常に興味深かったです。それにしても、よくあれだけ調べ上げましたよね。

片野 幸いにして今の時代は、グーグル・トランスレーション(翻訳)っていう素晴らしいサービスがあるので、ロシア語の文献でそれらしいものを見つけられれば、ちゃんと英語なりイタリア語なりで読めるわけですよ。それに英語圏でも、それこそ『フィナンシャル・タイムズ』あたりでは、アブラモビッチやガスプロムに関する調査報道をしているジャーナリストがいるわけです。そうしたさまざまな文献を読み漁りながら、この本に落とし込んだ部分は多いですね。ちなみに僕は、ロシアには行ったことがありません。

──え、そうなんですか? それは意外です!

片野 ロシアだけでなく、カタールにも中国にも行ったことがない。イタリア国内で、ジャーナリストや当事者に会って話を聞くことはありますけど、この本は基本的には現場に行かずに文献資料をもとに書いています。ですからそこは、現場主義の宇都宮さんとは真逆ですね。

前のページ次のページ

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ