宇都宮徹壱ウェブマガジン

「3.11」に全国リーグの舞台に立つことの意味 近江弘一(コバルトーレ女川代表)インタビュー<2/2>

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■震災直後の壁新聞とコバルトーレの活動停止

──いよいよ「3.11」の話に移るんですが、近江さんはあの日、どちらにいらっしゃいましたか?

近江 石巻の新聞社にいました。ミーティングが終わって、ちょっと片付け事をしていた時にドカンときて。宇都宮さんはどちらにいらしたんですか?

──私はちょうど都内で地下鉄に乗っていました。駅の近くで揺れたので、そのまま歩いて次の打ち合わせに行ったんですけど、それほど深刻な事態になっていたとは、その時はまったく想像もしていなかったですね、

近江 東京の方だと、一度だけ揺れたみたいな感じだったじゃないですか。こっちは2回来たんですよ。最初は「(この程度で済んで)よかった」と思っていたんですが、そうしたら次の衝撃がドーンと来たんですね。こっちのほうがすごくて、本当に死ぬかと思いました。

──石巻日日は何階にあったんですか?

近江 ビルと言っても小さな2階建てなんです。それから40分後くらいに津波が来るんだけど、たまたまうちの社屋って道路から土盛りしてあって、その上に建っているような感じだったんですね。それで周りの建物が流される中、たまたまウチは床上浸水で済んだんです。

──ご家族の安否がわかったのは、どのタイミングでした?

近江 自宅の無事を知ったのは、13日でした。ちょうど長男夫婦に子供が生まれて、同居してすぐだったんですけれど無事がわかって。実家の母は、海から10メートルくらいのところに住んでいて、もう無理だろうと思っていたんですけど、幸いこちらも無事でした。逆に、海から遠いところで亡くなっている人も、けっこういたんですよね。

──津波が川をって、大きな被害をもたらしましたからね。コバルトーレの選手たちも無事だったんでしょうか?

近江 ウチの選手たちも、当初は厳しいと思っていました。通信が途絶えていましたから。それで13日の夕方になって、初めて車で女川に向かったんです。瓦礫があって、途中で足止めになってしまったんですが、その時に溜まっていたメールが一気に流れてきたんです。そこで初めて、コバルトーレ関係者が全員無事であることがわかって……。

──全員が無事って、本当に奇跡ですよね。

近江 奇跡ですよ。それまでずっと、叫びたいくらいの衝動を押さえながら壁新聞を作っていたんですけど、一時的にほっと一息つくことができましたね。だけど寮の賄いをしていたおじさんとか、ウチのオフィスの近所でお店をやっている人たちとか、僕の周りで何人も亡くなっているんですよね。

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