宇都宮徹壱ウェブマガジン

「君は横浜フリューゲルスを見たことがあるか?」合併発表から20年、何を語り継ぐべきか<2/2>

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消滅後、「心のクラブ」は見つからず

──それでは第2部を始めたいと思います。あれから20年が経過しました。今の20代はもちろん、30代の人でも横浜フリューゲルスのことを記憶していない人が増えてきています。記憶を風化させず、次世代に語り継ぐ必要性を感じて「F企画」の連載をスタートさせたのですが、取材を続けているうちに感じるのは、この件を「風化させたい」あるいは「美談で終わらせたい」と思っている人たちが一定数いるということなんです。

 要するにJリーグ25年の歴史の中で「フリューゲルス消滅」というのは最大の汚点であるわけで、それが理由で語りたくても語れないという人がけっこういることを知りました。実際、何人かの方には「迷惑がかかる人がいるから」とか「まだ話せる時期ではない」という理由で取材を断られています。正直、この連載も少し行き詰まっていたところ、戸村さんから「全日空スポーツの登記簿を確保しておいたほうがいいですよ」というアドバイスをいただきました。戸村さん、説明していただけますか?

戸村 実は会社の登記簿って20年経つとなくなるんですよ。全日空スポーツが終わったのが99年の2月ですから、そろそろ危ない。そう思って東京法務局に行ったら、結構古い資料が廃棄されずに残っていたんですよね。あとは合併する側の日産の当時の役員名簿を都立中央図書館で調べたり、全日空と日産の社史に当ったり、そういう調べ物を最近はいろいろやっています。

──最近、役所はどんどん文書を捨てているみたいですけれど(笑)、本来は20年くらいは残しておくものですよね。実はその登記簿から、当時の全日空スポーツの社長だった方の住所がわかって、ダメ元で「インタビューさせていただけますでしょうか」という手紙を送ったんです。もう70を過ぎて、リタイアされているでしょうから、もしかしたら話をしてくれるんじゃないかという淡い期待を込めて。

戸村 結局、返事は来なかったですか?

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