宇都宮徹壱ウェブマガジン

「清水のアイコン」としてのまる子 さくらももこさんの逝去に想うこと

 インドネシアでのアジア大会に出場しているU-21日本代表が、サウジアラビアとの準々決勝に21で競り勝った直後、ライブ中継を伝えていたNHK BS1にニュース速報が入る。漫画家のさくらももこさんが、8月15日に亡くなっていたとのこと。享年53歳。熱戦の余韻に浸ることなく、突然の訃報で頭の中はいっぱいになった。おりしも都内の天候は、時ならぬ豪雨と雷で荒れ模様。まるでファンの千々に乱れる心情が、そのまま反映されているかのように感じられた、8月27日の夜であった。

 今週は当初の予定を変更して、さくらももこさんの突然の死に際して思うところを記すことにしたい。といっても、私は彼女とお会いしたことはないし、共通の友人・知人がいるわけでもない。さらに言えば、彼女の代表作である『ちびまる子ちゃん』の熱心な読者だったわけでもない(もちろん、作品そのものに接したことはあるが)。いわば「にわか」以外の何ものでもないのだが、それでも「これは何か書かなければ」という強い衝動に駆られている。こんな感情は本当に久しぶりのことだ。

 ひとつには、彼女が私と「同学年」ということがある。さくらももこさんは1965年5月8日生まれ。私は66年3月1日生まれ。生年は異なるものの、学年では同じであっただけに、かつてのクラスメイトの訃報に接したかのような動揺を隠しきれずにいる。そしてもうひとつは、彼女が「サッカーどころ」で知られる静岡県清水市(現静岡市清水区)の出身であること。『ちびまる子ちゃん』のアニメで、同級生のケンタくん(FC東京監督の長谷川健太氏)が登場するのは、サッカーファンなら周知のことであろう。そこで本稿では、「同学年」と「サッカーどころ」という2つの接点から、同時代の偉大な故人を追悼することにしたい。

(残り 2040文字/全文: 2785文字)

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