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【無料記事】なぜ2002年は「理念なき大会」となったのか 20年後に明かされる「日韓共催決定」の舞台裏<2/2>

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日本のためでも韓国のためでもアジアのためでもなかった

――広瀬さんが岡野さんに直訴した招致議連の問題は、その後どうなったのでしょうか?

広瀬 結局、元総理の宮沢喜一さん(故人)に会長をお願いすることになった。宮沢さんは文教族だったし。それが発表されたのが95年の1月で、3月初旬の閣議了承をもって国家として正式にエンドース(保証)されたのね。ちょうどその頃、ワールドカップのフレンドリークラブに集まった40万人の署名と一緒に、FIFAに持って行った。11月には、さっき言ったインスペクションチームが来て、その対応も僕が担当した。スタンドがほぼ満員のJリーグの試合を見せて、日本は決してサッカー後進国でないことをアピールできたと思う。

――この時点で広瀬さんの中では、どれくらい「いける!」という確信がありましたか?

広瀬 いわゆる「アンダー・ザ・テーブル」のことはわからないけれど、「オーバー・ザ・テーブル」については完勝。96年の1月の時点で、(韓国に)負ける要素が見当たらなかったわけ。でも、いよいよ秒読み段階となったときに「本当に、この国でワールドカップをやっちゃっていいのかな?」と考えるようになった。

――と言いますと?

広瀬 企画部としては、とにかく(FIFAの総会で)11票を獲得するために、提案書を作ったりインスペクションチームを接待したりしていたわけ。一方で広報部としては、国外だけではなく国内向けにも発信していかないといけない。

 で、たとえば僕の故郷で「サッカーどころ」と言われる静岡の県庁に行くとするでしょ。するとそこの人たちは、ワールドカップよりも翌年の国体のことがすごく大事だったりするんだよね(笑)。僕たちは、できることは全部やったし、負ける要素はひとつもないと思っていた。でも、こういうワールドカップが何たるかを知らない人が圧倒的に多いこの国で、本当に開催してもいいんだろうかって、思うようになっていたね。

――韓国との招致合戦に関しては、アベランジェ対UEFAの代理戦争という構図があったわけじゃないですか。日本にはアベランジェという後ろ盾があり、韓国は反アベランジェのUEFAに取り入っていた。そのあたりの相手の情報というのは、広瀬さんの耳にも入ってきたと思うのですが、いかがでしょうか?

広瀬 もちろん入ってきていたけど、それをアベランジェに言うわけにはいかないわけよ。なぜなら、このプロジェクトの指揮官はアベランジェなわけで、彼が「こうしなさい」と命じればその通りにするしかない。すべてがアベランジェ頼み。結果として、日韓共催を僕らが拒否できなかったのも、それが理由なんだよね。

――最後の最後に、アベランジェがUEFAに妥協したからこその日韓共催だったわけですよね。思い切りハシゴを外された日本は、たまったものじゃないですよ。

広瀬 だからアベランジェは、別に日本のためではなくFIFAのために動いていたんだよ。それはUEFAも同じで、韓国のために票を集めていたわけではない。彼らもまた、FIFAのためにやっていた。それを示す面白い話があって、共催が決まる前夜(5月30日)に、レナート・ヨハンソン(当時のUEFA会長)が、チョン・モンジュンを呼び出して「11票を押さえた」って言ったの。で、チョン・モンジュンが「だったら韓国単独開催にしてくれ」って言ったら、ヨハンソンは、「お前は何を言っているんだ。われわれはアベランジェを引きずり落とすためにやっているんだ。勘違いするな!」って(笑)。

――確かに面白い(笑)。それ、どこからの情報ですか?

広瀬 メディア関係者だったかな、あるいはサッカー関係者だったかもしれない。そういうことを、ホテルのロビーで話しているんだから、信じられないでしょ(苦笑)。

――結局のところ、アベランジェにとってもヨハンソンにとっても、2002年は日本のためでも韓国のためでも、ましてやアジアのためでもなかったわけですね。

広瀬 もちろん。彼らは、それぞれの戦略で動いていたわけで、そのためにはルールをねじ曲げることさえためらわない。大した連中だよ(苦笑)。

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