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【無料公開】なぜ芥川賞作家は「J2」をテーマに小説を書いたのか?『ディス・イズ・ザ・デイ』津村記久子インタビュー<2/2>

「スタジアムで出会う人たちの話が面白くって(笑)」

──あらためて、この『ディス・イズ・ザ・デイ』という作品の魅力を考えたとき、サッカーそのものの素晴らしさというよりも、「応援するチームがある人生って、ちょっといいな」って感じられるところにあるんじゃないかと思います。いかがでしょうか。

津村 サッカーに限らず、他者のことを考えられるのって、素敵なことだなって思いますね。サッカーを観に行くと、楽しいことばかりじゃなくて、負けて悔しいこともたくさんあるじゃないですか。それでも、好きな選手のことを真剣に考えたり、チームの勝ち負けに自己投影したりすることって、自分のことばかり考える人生よりも絶対に素晴らしいと思うんですよ。

 それとプロスポーツの世界って、必ず勝ち負けがあるシビアな世界ですよね。応援している自分たちには、どうにもできない部分がたくさんある。それでも、勝ち負けというよくわからない世界に、自分を重ねてみる人って潔くていいなっていいなと私は思うんです。自分が観に行く試合が、なぜか負けが多くて「最終節は行かないほうがいいんじゃないか」って思うサポーターが出てきますけど、そういう試合をずっと観てきた実感みたいなものも興味深いですし。

──なるほど。それから、シーズンを通して応援する楽しさというのもありますよね。調子のいい時も悪い時も経験しながら、晩秋の最終節を迎えるという。

津村 開幕当初は和やかでみんなニコニコしていたのに、シーズンが終わり近くになるとだんだん殺伐とした感じになっていくという(笑)。特に降格ラインにいるチームはそうなりますよね。試合に負けて月曜は落ち込んでいて、次の週末が来てほしくないと思ったりするけれど、木曜くらいになるとまた試合に行きたくなるという(笑)。特にJ2だと、毎回勝ち試合を望むのは難しいじゃないですか。チームの浮き沈みを含めて、シーズンを通して楽しむところに、サッカー観戦の面白さがあると思います。

──サッカーの2部リーグを舞台にした作品を書き終えて、ご自身の中で小説家としての成長や変化を感じるとしたら、どのあたりだと思いますか?

津村 他人の話を聞くことが、こんなに楽しいとは思いませんでした。これまで自分の書きたいことはほとんど書き尽くして、もう自分自身の資源は枯渇しているんじゃないかと思っていたんです。でも他人の話を聞いたら、まだまだ書きたいことが出てくるんだなと。実際、スタジアムで出会う人たちの話が、本当に面白くって(笑)。だったら私自身は、空っぽでもいいんじゃないかって思えるようになりましたね。成長というよりは、小説の書き手として新たなフェーズに押し出してもらった感じです。

──ただ話を聞いただけでなく、登場人物のモデルになった人もたくさんいたと思いますが。

津村 本当に、いろんな人たちにモデルになっていただきました。「私たちが観に行くと負ける」と心配しているヴェーレ浜松のサポーター夫婦は、ジュビロサポの知人がモデルです。川越のチャントをみんなで考えて決める場面も、あるJクラブのサポーターに取材して書きました。先ほど「物語を溜め込んでいる」っていうお話がありましたけど、スタジアムで出会ったいろんな人たちの物語を書くことで、間違いなく物語の幅が増えたと思っています。

──なるほど。私が書いているのは、小説ではなくノンフィクションですが、取材対象者が持っている物語を引き出すことの楽しさというのは絶対にありますよね。最後に、津村さんの次回作について教えていただけますか?

津村 今回は取材して書くことがあまりにも面白かったので、次はすごく退屈な場所のことを書こうと思っています(笑)。すごくつまらない住宅地に脱獄犯が逃げ込んできて、そのつまらない住宅地の人々が「どうしよう?」ってオロオロしている3日間くらいの話。まだ構想段階ですけど、そんな小説をイメージしています。

──今後ますますのご活躍を期待しております。今日はありがとうございました。

<この稿、了>

津村記久子(つむら・きくこ)

1978年大阪府生まれ。2005年「マンイーター』(『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で第21回太宰治賞を受賞しデビュー。08年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で第30回野間文芸新人賞、09年『ポトスライムの舟』で第140回芥川賞、11年『ワーカーズ・ダイジェスト』で第28回織田作之助賞、13年『給水塔と亀』で第39回川端康成賞受賞。16年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、17年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他に『カソウスキの行方』、『とにかくうちに帰ります』、『ポースケ』など。

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