【サッカー人気1位】【J2箱推し宣言!終盤戦スペシャル】昇…

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スペインでスパイクを脱いだ男が漫画で世界を目指すまで 丸山龍也(株式会社ワンディエゴ丸出版社代表)<2/2>

丸山龍也氏提供

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スペインで終焉を迎えた「日本代表の夢」

──さて、丸山さんがフットボール人生を続けるかどうかの選択をしたのが、去年のスペインでの入団テストでした。そこから現在に至るまでの間に、どんな葛藤があったのかをお聞きしたいと思います。スペインに渡ったのは、去年のいつ頃だったんでしょうか?

丸山 7月でしたね。行った先は、セグンダ・ディビシオンB(3部)のCFラージョ・マハダオンダっていうクラブです(今季からセグンダ=2部に昇格)。2年前、ある代理人の方から「君が1年間、死にものぐるいで努力したら、スペインのクラブを紹介できるよ」って言われたんですね。それでフットボールトライアウトアカデミーっていう、海外でプロになりたい選手が練習する場所があって、そこで週6回トレーニングをして、それからいただいた仕事をしたり、あとは自分の生きる道についてずっと模索したりていました。

──そういったストイックな生活を1年続けてから、いよいよスペインに最後の挑戦をすることになったと。どのくらい練習参加したんですか?

丸山 1週間くらいですかね。5日目くらいに、日本で面倒を見てくれていた方から「君のレベルは、今のチームにフィットしていないから難しい」という連絡をいただいて。ちょうど、スペイン南部でキャンプをするタイミングだったんですけど、自費で参加するならお金がかかるということで、監督から「諦めるならこのタイミングだよ」って言われました。その方はすごくいい人で、僕がセグンダBのレベルにはないことをちゃんと言ってくれたんですね。確かにレベルが高いと感じたし、周りは年下ばっかりだったから、すごく悲しい気分にもなったけれど、すっきりしましたね。

──それが25歳のとき?

丸山 25歳でしたね。それまでは、自分で「チャンピオンズリーグに出る!」とか「日本代表になる!」とか言っていたわけですけど、監督のその言葉が自分でも驚くくらいに、すっと入っていきました。それまでは「諦めずに歯を食いしばって頑張れば、もしかしたら何とかなるかもしれない」って思っていたんですけど。

──JFAが「ユメセン(夢先生)」とか「Dream」とか盛んに言っていますけれど、自動車教習所でアクセルとブレーキを教えるように、夢との折り合いの付け方についても、本当はきちんと発信すべきだと個人的には思いますね。話を戻しますが、丸山さんの場合「何歳でチームが見つからなかったら諦めよう」みたいなものはありましたか?

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