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宇都宮徹壱ウェブマガジン

わが平成史 写真とフットボールを巡って 写真との出会い、東欧への憧れ(平成元年/1989年)


「新しい年号は、平成であります」

 後に日本国首相となる小渕恵三官房長官が「平成」と墨で書かれた色紙を掲げて、昭和の終焉と新時代の幕開けを宣言したのは、1989年(昭和64年)1月7日のことであった。時刻は14時36分。この中継の視聴率は58.1%との記録が残っている。多くの日本人が目撃したであろう、この時の映像を私はリアルタイムで見ていない。大学はまだ冬休みだったが、アルバイトとサッカー部の行事で一日留守にしていたからだ。

 前日の夜から、昭和天皇は危篤状態が続いていた。胸騒ぎを覚えたので、土曜の朝にもかかわらず早起きして居間のTVのスイッチを入れる。「天皇陛下崩御」の発表の中継映像が流れたのは7時55分。もちろんショックはあったが、そろそろ出発しなければならない。起きがけの両親に「陛下が亡くなったよ」と伝えると、葛飾にある美術予備校の講師のアルバイトに向かった。当時は「昭和が終わった日は電車が止まる」なんて噂もあったが、西武池袋線は通常通りに運行。ただし乗客の表情は、いずれも冷気に晒されたかのようにこわばっていた。

 その日は夕方まで、美大受験を控えた生徒の石膏デッサンに付き合い、それから上野に移動して大学のサッカー部のOB会に参加。どんな話をしたかは覚えていないが、ひとつの時代が終わる奇妙な高揚感に包まれていたように記憶する。先輩が持参していたラジオのニュースで、新しい元号が「ヘイセイ」であることを初めて知ったのもこの時だ。「ショウワ」に比べて、ずいぶん優しげな響きだな、とその時は思った。バブルが弾けて経済の低迷期が20年続くことも、人生観を一変させるような自然災害にたびたび見舞われることも、この時はまったく想像もしていなかった。

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