宇都宮徹壱ウェブマガジン

伝説のスポーツカフェの復活と突然の閉店 『ティア・スサナ』親子二代の情熱史<2/2>

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「東京のティア・スサナで祝勝会をやるぞ!」

──こちらのお店には、トヨタカップで来日した南米王者の選手たちが来店した時の写真が、たくさん飾ってあります。彼らがティア・スサナに詣でるようになったのは、どんなきっかけがあったのでしょうか?

江頭 トヨタカップの第1回は80年だったでしょ? この頃はまだ南米からの留学生もいたので「じゃあ、ウチから応援団を出そう」ということになったんです。そうしたら、ナシオナルをアテンドしていたプーマの人が「そっちに挨拶に行かせるよ」ということになって、それで試合の前日に選手が来てくれたんですよね。第2回のフラメンゴの時は、ジュニオールがわざわざ挨拶しに来ました。第3回のペニャロールは、試合当日で選手が離日しなければならなくて、それで役員だけが来てくれましたね。

──わざわざ役員が仁義を切りに来るなんて、すごいですね!

江頭 それからトヨタカップが回を重ねるにつれて、ウチのお店のことも知られるようになって、コパ・リベルタドーレスの決勝に勝ったら「東京のティア・スサナで祝勝会をやるぞ!」というのが、彼らの目標になっていったみたいです(笑)。

──すごい話だ(笑)。日本よりもむしろ南米で有名になっていると。それにしても、けっこう有名な選手のサインがしれっと飾ってありますね。これはアルゼンチンのブルチャガでしょ。こっちはブラジルの闘将ドゥンガじゃないですか。

江頭 ブルチャガもドゥンガも、まだ有名になる前にトヨタカップやキリンカップで来日しているんですよね。ドゥンガなんて、クソ生意気な若造でね(苦笑)。84年のキリンカップで、インテルナシオナルの一員として来ているんだけど、僕としてはウルグアイ代表のルベン・パスのサインだけが欲しかったんですよ。そしたらドゥンガが「オレも書く!」とか言って勝手にサインしやがって、そしたら他の選手たちも一斉に書いて。僕に言わせりゃ、こんなのは落書きですよ!

──そこまでドゥンガをディスる人に初めて会いましたよ(笑)。さて、そんなティア・スサナも、85年に東銀座のお店を閉めることになるわけですが、理由はなんだったんでしょうか?

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