宇都宮徹壱ウェブマガジン

わが平成史 写真とフットボールを巡って フットボールとの出会い(平成5年/1993年)

 去年のちょうど今頃の話。とある地方クラブの取材で、若い広報スタッフの車に乗せていただき、あれこれおしゃべりしているうちに「Jリーグ元年」の話題になった。すると、いちいち相手が激しく反応してくるので、もしやと思い年齢を聞いてみると「僕、その年に生まれたので24です」。思わず助手席からずり落ちそうになった。そうか、ついにJリーグ開幕を知らない世代が、Jクラブで働くような時代になったのか。あらためて、Jリーグ四半世紀の重みというものを、ずっしりと実感した瞬間であった。

 平成の30年間を振り返る時、1993年(平成5年)のJリーグの開幕は、まさに時代の転換期を象徴する出来事であった。単にサッカー界だけの話でなく、日本社会全体に大きなインパクトを与えたからだ。その理由については、こちらにも書いたとおり。要約するとJリーグは、日本のプロスポーツのあり方に変革をもたらし、地方都市の風景を激変させ、日本人に「娯楽」だけではないスポーツの新たな価値観を資することとなった。加えて、タイミングも絶妙だったと思う。開幕が3年早ければバブルの波に飲まれていただろうし(F1のように一時的なブームに終わっていた可能性もある)、逆に3年遅ければ平成の大不況で立ち行かなくなっていたかもしれない。

 さて、5月15日である。私はこの日を、自宅のTVの前で迎えていた。ただし、ずっと楽しみにしていたというわけではない。土曜日の午後、社会人の草サッカーチームで汗を流した帰り道に「今夜はJリーグの開幕だよね」と話していたのが耳に入り、「そういえば新聞で読んだな」と思い出した(要するに、それくらいの認識しかなかったのである)。帰宅してから銭湯で湯船につかり、それから映りの悪いTVを点ける。次の瞬間、極彩色の演出で彩られた国立競技場の風景が視界に飛び込んできて、しばし釘付けになってしまった。解像度の悪いブラウン管を通してではあったが、まったく新しい価値観の創生の瞬間というものを、私はリアルタイムで目撃することができたのである。

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