宇都宮徹壱ウェブマガジン

わが平成史 写真とフットボールを巡って 私にとってのダイヤモンドサッカー(平成6年/1994年)


 ここ数年、異業種からの優秀な人材がサッカー界に転身するケースを増えてきているIT系、金融系、そしてベンチャー系。実に素晴らしいことだと思う一方で、キャリアデザインという発想がないまま転職した自身の経験を思うと、いささかの恥ずかしさを禁じ得ない。私は転職というものを一度だけ経験しているが、それはキャリアアップとはおよそ程遠いものでしかなかった。

「ポーランドで働きながら写真を続ける」という、ぼんやりした夢が見事に打ち砕かれたことについては、前回述べたとおりである。当時の私は「キャリアを積む」という発想が希薄な上に、行き当たりばったりの戦略ゼロで次の就職先を探していた。そんな私を雇ってくれたのが、エンジンネットワークという映像制作会社である。転職したのは94年(平成6年)の5月。新卒で入った会社を辞めて、ほとんど休みのないまま高輪にあるオフィスに出社することとなった。

 エンジンネットワークのルーツをたどると、安田匡裕という映画プロデューサーに行き当たる。安田氏は電通映画社で数々のCM制作に携わってきた人物で、同社を退社してからCMディレクターの檀太郎氏(父は作家の檀一雄、妹は女優の檀ふみ)と84年に株式会社スケールを設立。そこからCM制作会社のエンジンフィルム、そしてTV番組制作会社のエンジンネットワークがグループ会社として設立された。ちなみにスケールという会社は、のちにfootballistaを創刊している(現在の版元はソル・メディア)。

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