宇都宮徹壱ウェブマガジン

わが平成史 写真とフットボールを巡って バルカンへの旅立ち(平成9年/1997年)

 平成最後の新年が明けた。サッカーファンにとって元日といえば、国立競技場で行われる天皇杯決勝。今年の天皇杯決勝は12月9日に前倒しされたが、元日特有の晴れがましい空気感と天皇杯の思い出は、年季の入ったサッカーファンほど分かち難いものがある。とりわけ私にとり、平成9年(1997年)元日の天皇杯決勝は、生涯忘れ得ぬものとなった。というのも、この年の天皇杯を記録したビデオ作品が、私にとってエンジンネットワークでの最後の仕事となったからだ。

 JFAが設立75周年を迎えるに当たり、エンジンネットワークに「記念になるような天皇杯の記録ビデオを作ってほしい」との依頼があった。ディレクターはフリーランスのオギノさん、アシスタントは私、そして全体を統括するプロデューサーはシゲさんという布陣。私が退社の意思を表明したのは、スタッフィングが決まった直後くらいだったと記憶する。ただしシゲさんではなく、その上長に当たる人に伝えた。

 私が辞めることを知ったシゲさんは、それなりにショックだったようで、のちに「俺がお前を厳しく指導したのは、いいディレクターになってほしかったからなんだよな」と言った。半分は、そのとおりだったかもしれない。しかし一方で、私に対する指導が時に感情的であったことは間違いなく、それが私にとって大きな負担となっていたのは事実である。貴方の上司が「お前のために」と言い出した時は要注意だ。いずれにせよ、あのタイミングで会社を辞めたのは、本当に正解だったと思っている。

(残り 2362文字/全文: 2995文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ