宇都宮徹壱ウェブマガジン

わが平成史 写真とフットボールを巡って ドイツでの惨敗と地域リーグ(平成18年/2006年)

 アジアカップでの日本の初戦を前日に控えた1月8日、元日本代表の中澤佑二(横浜F・マリノス)と楢崎正剛(名古屋グランパス)が相次いで現役引退を発表した。いつかこの日が来るとは思っていたが、立て続けにふたりのレジェンドがスパイクを脱ぐ決断をしたことに、多くのサッカーファンが驚いたはずだ。昨年の11月4日にはSC相模原の川口能活が、そして12月27日には鹿島アントラーズの小笠原満男が、すでに引退を表明。そして1月15日は、ロアッソ熊本の巻誠一郎がこれに続いた。

 思えば彼らは、いずれもワールドカップ・ドイツ大会の日本代表であった。最終メンバー23名で、最初に引退したのが中田英寿。大会がまだ続いていた2006年(平成18年)7月3日、会見も引退試合も行わずに彼は「旅人」となってしまった。あれから13年が経過し、現役を続けている選手は9人。今もJ1でプレーしているのは、遠藤保仁(ガンバ大阪)、中村俊輔(ジュビロ磐田)、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)のみとなった。その一方で、駒野友一(FC今治)や茂庭照幸(FCマルヤス岡崎)といったワールドカップ経験者が、JFLに活躍の場を求めたことには隔世の念を禁じ得ない。

 4年に一度のワールドカップは、日本サッカー界のマイルストーンとなっている。初出場だった98年、そして自国開催の02年。最初の2大会は「初めて尽くし」ということもあり、日本サッカー界は好ましい右肩上がりの成長を続けていた。そして06年のドイツ大会、ジーコ監督率いる日本代表は前回のベスト16を上回る好成績が期待され、多くのメディアも根拠のない期待感に乗っかってしまう。結果は、グループステージ1分け2敗の最下位。まったくインパクトを残すことなく、日本はドイツを去ることとなる。そしてこれが、ワールドカップ初出場後に日本サッカー界が味わう、初めての挫折となった。

(残り 1767文字/全文: 2552文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ