宇都宮徹壱ウェブマガジン

映画『蹴る』に見えた鮮やかなパスの軌跡 40年前に予見された「ノーマライゼーション」

 今週のコラムは、古いドラマの話から始めることにしたい。NHKの山田太一シリーズ(当時は脚本家の名前を前面に出すドラマが流行った)に『男たちの旅路』という名作がある。若き日の水谷豊や桃井かおりの演技が印象的だが、主演は鶴田浩二。彼が演じる吉岡晋太郎は警備会社の主任であり、大正生まれの「特攻隊の生き残り」という設定が時代を感じさせる。このシリーズは絶大な人気を博し、第4部まで作られたのだが、ここに紹介するのは第4部の「車輪の一歩」。OAは1979年11月24日だから、今からちょうど40年前である。

 ふとしたことで出会った、吉岡主任と車椅子の青年(演じるのは斉藤洋介)との会話。「車椅子の自分が外出すると、周りの人に迷惑をかけてしまう」と語る青年に対して、吉岡主任は「他人に迷惑をかけるなというルールを、私は疑ったことがなかった」と前置きした上で、こう続ける。

「階段でちょっと手伝わされるとか、切符を買ってやるとか、そんなことを迷惑だと考えるほうがおかしい。どんどん頼めばいいんだ。そうやって、君たちを街のあちこちでしょっちゅう見ていたら、並の人間の応対もちょっと違ってくるんじゃないだろうか。たまに会うだけだとみんな緊張して、親切にしすぎたり敬遠したりしてしまうが、君たちをしょっちゅう見ていたら、もっと何気なく手伝うことができるんじゃないか」

 吉岡主任のこの言葉は、健常者と障がい者が混じり合う生活を目指す「ノーマライゼーション」の観念そのものである。まだ「バリアフリー」という概念さえなかった、40年前の日本のドラマにおいて、こうした言葉を主人公に語らせる山田太一の先見性には唸るばかり。そんなことを思い出させてくれたのが、2月27日にJFAハウスのサッカーミュージアムにて上映された、中村和彦監督の映画『蹴る』であった。

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