都並敏史、11年ぶりの監督復帰。その先に見据えるJへの旅路(J論)

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「サッカーを変える、人を変える、奈良を変える」 中川政七(奈良クラブ代表)インタビュー<2/2>

「サッカーを変える、人を変える、奈良を変える」 中川政七(奈良クラブ代表)インタビュー<1/2>

■JFLの選手が高いレベルのサッカーを見ない理由

──奈良クラブの社長就任の話に移る前に、13代目として中川政七商店の社長に就任した2016年の話をお聞かせください。このときも「奈良という町のブランド化に取り組みます」ということを宣言されていたわけですが、その時は次の転職のことはまったく考えていなかったのでしょうか?

中川 そうです(笑)。ただ、創業300周年の年で上場の準備もしていたので、その前後はいろいろ考える時期ではありましたね。というのも株式を全部持っていたので、オーナーでもあり経営者でもあったわけです。まあ、中小企業だと普通ですけれども、そこのオーナーシップをパブリックなものに変えようということも考えたり、いろいろ迷ったりしながら社長業を続けていたのが16年でした。

──それから2年で転職というのは、ちょっと早いような気もするのですが。

中川 僕は02年に中川政七商店に転職して、そこから16年やってきたんです。今は44歳なので、還暦を迎えるまであと16年。まあ、60歳で完全にリタイアする人は少ないだろうから、そこからさらに16年と考えると、人生であと2回のターン(区切り)があると。だったら、その間に奈良にいい会社をたくさん作ろうと思ったんです。いい会社っていうのは、いいビジョンがあって、いい企業文化がある会社。

 いい会社を作るというのは、直接的でも間接的でもいいんです。ただ、僕は経営のコンサルやブランディングを数多く手がけてきましたけど、実は地元の奈良ではやってきていなかったんですね。それとは別に、中川政七商店は自分がいないほうが、いい企業文化が育つんじゃないかと思ったんです。もちろん、いいビジョンもいい文化もあるんだけど、強いトップがいることでの甘えみたいなものが抜けきれていないと感じていたんです。

──そこまで考えていらしたんですか。それで社長辞任を発表されたのが、今年(18年)の3月で、新社長には千石あやさんを抜擢されました。女性社長ということもさることながら、中川家以外から社長を迎えたことでもかなり話題になりました。

中川 そうなんですけど、僕は入社した時からずっと「僕の次の社長は中川じゃない人間にやらせる」と言っていたんです。それは「ちゃんとした会社にする」という目標があったから。中小企業に一族経営が多いのは、借金があって個人保証が外せないからなんですね。しかも、外部から社長になってくれる人がなかなか見つからない。なおかつ優秀な人材となると、相当にハードルが高くなる。それをやりきることが僕の目標でした。

──なるほど。とはいえ、こんなに早く実行するのは想定外だったのでは?

中川 そうですね。最初は「50歳くらいで」とか言っていたんですけど、期せずして早くなりました。というのも、僕が社長を辞める時と、次の転職先が奈良クラブだったら面白いんじゃないかと考えるようになった時が、ほぼ同時進行だったので。

──「人生二度目の転職」を考えたとき、そこに奈良クラブが浮上した一番の理由は何だったのでしょうか?

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