宇都宮徹壱ウェブマガジン

わが平成史 写真とフットボールを巡って 東日本大震災と松田直樹の死(平成23年/2011年)

 平成という時代を振り返るとき、戦争の暗い影が感じられなかったのは、国民にとって幸いなことであった。しかし一方で長期的な経済の低迷、止まらぬ少子高齢化と地域格差、そして相次ぐ自然災害に不安を覚え、心を痛めることが多い30年でもあった。大地震、津波、火山噴火、台風、豪雨、豪雪、そして猛暑──。毎年のようにさまざまな自然災害に見舞われる中、私の人生に最も大きな影響を与えたのは、やはり2011年(平成23年)の3月11日に発生した、東日本大震災である。

 この年の日本サッカー界は、1月にカタールで開催されたアジアカップからスタートした。イタリア人監督のアルベルト・ザッケローニ率いる日本代表は、大会序盤こそ危なっかしい展開が続いたが、その後は試合を重ねるごとに勝負強さを発揮。準決勝の韓国戦はPK戦の末に競り勝ち、オーストラリアとの決勝は延長戦での李忠成の劇的なゴールで見事に勝利した。04年大会以来、最多4回目のアジア制覇。2011年の日本サッカー界は最高のスタートで幕を切った。

 そんな中、私が大いに注目していたのが、当時JFLに所属していた松本山雅FCである。「地獄」と呼ばれた北信越リーグから、全国リーグに昇格して2年目。アジアカップ期間中には、元日本代表の松田直樹の獲得が発表されて、一躍注目を集める存在となっていた。これがきっかけとなり、カンゼンから「山雅と松田の本を出しませんか?」というオファーをいただく。奇しくも、09年の山雅を追いかけたドキュメンタリー映画『クラシコ』の上映も決まり、私の中で山雅グリーン一色となったのが、2011年という年だったのである。

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