宇都宮徹壱ウェブマガジン

「もう一度、未来を信じてみよう」という思い クボタケフサから感じる「光明」、そして懸念


 6月のキリンチャレンジカップ2試合が終わり、いよいよコパ・アメリカの開幕が近づいてきた。出発は6月14日だが、久々の海外取材(それも過度の緊張を強いられるブラジル)だというのに、まったく準備ができていない。原稿の〆切に加えて、取材や打ち合わせのアポイントにイベントの仕込みが続き、かなり焦っている。そんな中、今週はそのコパのメンバーに招集された、久保建英について考えることにしたい。ただし今回言及するのは、彼の非凡な才能や経歴からは少し離れた、いささか妄想めいた話である。

 宮城で行われたエルサルバドル戦の翌日、尊敬する先輩同業者の佐山一郎さんにお会いする機会を得た。ご自宅の書斎でいろいろ話が弾むうちに、ふと佐山さんの口から「昨日の久保建英の代表デビューは光明でしたね」という言葉が出て、おやっと思った。ご存じの方も少なくないだろうが、佐山さんは6年にわたって務めてきたサッカー本大賞の審査委員長を辞し、サッカーライティングの仕事からもいったん退くことを表明している。サッカーの取材現場からも距離を置いて、すでに10年以上の月日が流れていた。

 日本のサッカー界に対して、どちらかというと一般人の視線に近い佐山さんからクボタケフサの名前が「光明」という表現と共に出てきたのは、少し意外だった。というのも久保の名前は、これまでは「サッカー村」でのみ流布されてきたからだ。最初は育成やスペインサッカーの界隈で、その後はFC東京のファンやサポーターの間で。それがついに、一般国民の間でもクボタケフサの名前が語られるようになったのである。これは画期的な出来事と言って差し支えないだろう。

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