宇都宮徹壱ウェブマガジン

平成が終わる前に語り合う「スマホ以前」のサッカーネット論壇 ケット・シー✕岡田康宏✕UG✕宇都宮徹壱<1/2>

 今週は4月11日に高円寺のKITEN!で開催された宇都宮徹壱WMプレゼンツ『平成が終わる前に語り合う「スマホ以前」のサッカーネット論壇』の模様をお届けすることにしたい。登壇者は、KET SEE BLOG元管理人のケット・シーさん、サポティスタ元管理人の岡田康宏さん、そしてSOCCER UNDERGROUND BLOG元管理人のUGさん。いずれも「元」が付いていることからもおわかりのとおり、すでに彼らはそれぞれのブログを休止して、発信の場をSNSに移して久しい。これも「時代」と言えよう。

 平成から令和に移り変わるカウントダウンただ中のこの時期、サッカーメディアでも「平成を振り返る」さまざまな企画が目白押しであった。ところが発想力の問題なのか、それとも単に関心がないのか、その時代特有の面白い動きを見せていた「ネット論壇」を扱う企画は残念ながら皆無。平成時代においてインターネットの普及は絶対に外せないトピックスであり、そこから生まれたムーブメントは単なる内輪受けに終わらず、サッカー界やメディア界にもさまざまな影響を与えた。ならば、当WMが引き取るしかないだろう。

 多くの日本人がネットにアクセスできるようになり、日本代表がワールドカップ初出場を果たした1998年は平成10年。そしてスマートフォンが登場し、われわれの情報摂取のあり方が根本から変わった2008年は平成20年。この10年の間、多くのサッカーファンはサポティスタで最新情報をチェックし、SOCCER UNDERGROUND BLOGの際どい内容を楽しみ、そしてKET SEE BLOGBBSで日本代表について熱のこもった長文を書き綴った。SNS全盛期の今とは、まったく異なるサッカー言論空間が、当時のネット上には存在したのである。

 そうしたサッカーネット論壇が、メディア側の人間ではなく市井の人々によって作られていったのも、今から思えば興味深い現象であった。今回のイベントでは、その中からVIP級の知名度を誇った皆さんが集結。平成のサッカーネット論壇はどのように生まれ、その間にどのような事件や出来事があり、そしてどのような背景から終焉を迎えたのかについて、三者三様の視点から語っていただく。当時のことを思い出しつつ、最後までお楽しみいただければ幸いである。(収録日:2019年4月11日@東京)

<目次>

*トルシエの是非を巡る新聞とネットの乖離

*アンチも寂しがった中田英寿の現役引退

Jサポ団結を促した川淵会長の「オシム」失言

*幾多の人材を業界に送り出したネット論壇

*戦術論ブームは「Number的文体」の反動?

*動画をアップしなければ読者に届かない時代

トルシエの是非を巡る新聞とネットの乖離

──ケットさん、UGさん、岡田さん、今日はよろしくお願いします。まずは簡単に、今回のイベントの趣旨をお話します。先日、Eテレで『平成インターネット史(仮)』というものをやっていました。たかだか30年の歴史であっても、振り返ってみるといろんなことがあったわけですが、それをサッカーのネット論壇の歴史に置き換えてみたら、どういう発見があるだろうかと思ったわけです。

UG たとえば98年だと、まだブロードバンドで24時間ネットが使い放題じゃなかった人のほうが多かったですよね。

──私もまだダイヤルアップでしたからね。今の大学生に「ダイヤルアップ」と言ってもまったくわからないでしょう。それと同様に、Jリーグが開幕したのも、日本代表が初めてワールドカップに出場したのも、いずれも彼らが生まれる前の話です。つまり、われわれがネット上で熱っぽく語っていたサッカー界の出来事が、どんどん歴史の彼方へ流れつつある。ならば平成が終わるこのタイミングで、いくつかの大きな出来事について三者三様の視点から振り返ってみようというのが、今回の趣旨です。

 ちなみに扱うテーマを1998年(平成10年)から2008年(平成20年)としたのは「スマホ以前」ということを意識させたかったからです。のちほど触れますが、スマホが一般に流通して以降だと、ネットでのサッカー論壇も大きく様変わりしましたので。そこで第1部では、この時代にサッカー界隈を騒がせた3つの話題について、それぞれ語り合っていきたいと思います。まずはこちらの動画からご覧ください。

──ということで、最初のお題が「トルシエ解任騒動にネット論壇が果たした役割とは?」です。ちょうど2000年に「代表監督がトルシエのままで2002年を迎えていいのか?」という議論が高まりを見せていましたが、最もアクティブな意見交換が見られたのがインターネット上の掲示板、とりわけケットさんのBBSでした。

ケット 2000年といえば、ちょうどネットが普及していた時期で、サッカーファンの思いの出口というか、フロンティアとなったのがネット上のBBSだったんでしょうね。

岡田 ひとりひとりは全然バラバラの場所にいるから、自分の思いを誰にもぶつけられないんですけど、そういう人たちが集まってくる場所がネットでありBBSだったんでしょうね。そこから多くのプロのライターさんが羽ばたいていきましたが、ツリー型の掲示板というのは彼らが議論を深めるのに向いていたと思います。

──UGさんは、そうした議論には参加してなかったんですか?

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