宇都宮徹壱ウェブマガジン

日本にミーガン・ラピノーは現れないけれど あらためて見直したい「サッカー村の良識」

 連休明けの火曜日、参議院選挙の期日前投票を済ませてきた。投票日となる日曜日は、FC今治の取材で東京にいないためである。おそらく番記者の皆さんの中にも、アウエー取材のために同様の行動を取る人は少なくないはずだ。余談ながら、今回の選挙を一言で表すならば「諦念」。正直なところ与党であれ野党であれ、今の政治家にはほとんど期待をしていない。であるからして「最もマシ」と思われる候補者や党を選択するほかないのである。サッカーのように「無条件で応援する」ことができたなら、どんなに楽だろうかと思ってしまう。

 かくして、私にとっての参院選はひと足早く終わり、少しほっとしている。というのも、サッカー業界の片隅で暮らしている私にとって、今回の選挙期間はいつも以上にモヤモヤした感覚を引きずっていたからだ。このモヤモヤ感を一言で表すのは難しい。無理やり言語化するなら「われわれが毎週末に楽しんでいるフットボールの世界が、どこかパラレルワールドのように感じられてならない」となるだろうか。わかりにくい? ならば「今の日本に失望すればするほど、週末のゲームに救いが感じられる」というのはどうだろう。

 一例を挙げる。先週末にガンバ大阪のファン・ウィジョが、チームメイトやサポーターに惜しまれながら吹田スタジアムでのラストゲームを終えた(翌日、ボルドーへの移籍が正式発表された)。おりしも、日韓関係が最悪のタイミング。Twitterを開くと、韓国のムン・ジェイン政権に対する罵詈雑言と、ファン・ウィジョへの惜別の声が同時に流れてくる。どちらも、この国で起こっている現実だ。もしもJリーグを見たこともないネトウヨが、あの日の吹田スタジアムに紛れ込んでいたら、果たしてどんな感想を抱いただろうか。

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