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北信越の「Fの悲劇」はなぜ回避されたのか 福井ユナイテッドFC、存続危機の舞台裏<2/2>

北信越の「Fの悲劇」はなぜ回避されたのか 福井ユナイテッドFC、存続危機の舞台裏<1/2>

経営危機を乗り越えての国体優勝

 上田戦での大勝から2日後、三国運動公園人工芝グラウンドで、福井ユナイテッドのトレーニングが行われた。到着した時には、すでに全体練習は終わり、各自が居残りトレーニングに汗を流している。キャプテンの橋本真人は、チームメイトと談笑しながらランニング。得点ランキング首位の山田雄太は、シュート練習に余念がない。

 山田は15年、橋本は16年に福井に加入。橋本は入れ違いだったが、どちらも佐野の引きによって、それまで縁もゆかりもない北信越でのプレーを選んだ。しかし16年、福井は5シーズンぶりにリーグ優勝を逃し、監督の石田は解任。選手兼任で今井昌太が新監督となるが、地域CL出場権獲得を目指した全社は2回戦で敗退し、あっけなくシーズンを終える。この年の指揮官の交代について、選手の思いは複雑だ。

「監督の戦術や起用法に従わないと、試合に出られませんでした。もちろん、選手としては受け入れないといけないとは思いますが、今から思うとチームとして壊れていましたね」(橋本)

「それまで一緒にプレーしていた人が監督になるのは、正直不安がありました。監督と選手とは、やっぱり一線があるべきだと僕は思っていましたから。結果的にチームとして、あまり上手くいかなかったですね」(山田)

 17年、福井の新監督に招かれたのが、愛媛FCやヴァンラーレ八戸の監督を歴任した望月一仁である。17年は北信越王者に返り咲いたものの、地域CLでは1次ラウンドで敗退。戦力は充実していたが、VONDS市原FC、鈴鹿アンリミテッドFC、松江シティFCと同組になる不運に泣かされた。

 続く18年は浅間との激しいデッドヒートを制したが、そこに暗い影を落としたのが『福井にJリーグチームをつくる会』の経営危機。開幕から6連勝した3日後の6月27日、福井新聞のスクープで発覚した。

(前略)NPO法人「福井にJリーグチームをつくる会」が資金難で単独運営が厳しい状況に陥ったことが6月26日、関係者への取材で分かった。/(中略)関係者によると、サウルコス福井の活動資金は主にスポンサー料やサッカースクール代のほかに、梶本知暉理事長個人の支えが大きかったという。6月に入り、梶本理事長が体調不良のため入院。選手の給与や遠征費など資金不足の問題が浮上した。

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