JリーグにやってくるFC今治に気になる存在がいる(J論)

宇都宮徹壱ウェブマガジン

藤川孝幸が十勝の地に遺したもの 知られざる「空と大地」の物語<1/2>

「北海道第2のJクラブを作る」ことを夢見る人々がいる。現在、北海道リーグに所属している、北海道十勝スカイアース。かつて私が『股旅フットボール』の取材で帯広を訪れた時には、とかちフェアスカイジェネシスという名称だった。その後は道東ブロックリーグに降格したり、再昇格して北海道リーグを制したりと波乱万丈の連続。そして昨年11月、函館で行われた地域CL1次ラウンドで、私はフェアスカイ改めスカイアースと11年ぶりに再会している(参照)

 スカイアースという名称の考案者は、当時クラブの代表だった藤川孝幸さんである。読売クラブ(そしてヴェルディ川崎)のGKとして活躍した藤川さんは、指導者を経て2015年にリーフラス株式会社に入社。その後、精力的に全国を飛び回っているさなかに出会ったのが、十勝の豊かなスポーツの土壌であった。それから2年後の17年11月、北海道十勝スカイアーススポーツ株式会社を設立。自らクラブ代表となったものの、わずか1年後の昨年11月15日、胃ガンのため56歳で亡くなっている。

 藤川さんの死については、これまで多くのメディアが取り上げているが、スカイアースとの関わりについて書かれたものは極めて限定的であった。今回の徹ルポでは、故人が十勝の地に何を遺したのかについて、関係者の証言をもとに掘り下げてゆく。もっとも現地での取材を終えた今、「これは単なる美談に終わらせてはいけないな」という思いが募っている。その理由は、本稿を読み進めていくうちにご理解いただけるだろう。先の福井篇同様、ぜひともSNSにて読後の感想を書いていただくことを、読者の皆さんにはお願いしたい。

 なお今回の帯広取材では、リーフラス株式会社の専務執行役員、嶋中康晴さんに大変お世話になった。この場を借りて、御礼を申し上げたい。

<目次>

12年ぶりの北海道リーグで見た光景

*とかちフェアスカイの「その後」

*十勝FCと藤川孝幸、運命の出会い

*代表不在のスカイアースに集まる人々

*緊急ミーティングと監督交代の動き

*「クラブ運営の属人化」は是か非か?

12年ぶりの北海道リーグで見た光景

 青い空と緑の大地。12年ぶりに訪れる十勝の風景は、まさに「スカイ(&)アース」そのものであった。そして私が北海道リーグを取材するのも、実に12年ぶり。その日、幕別町運動公園陸上競技場では、北海道十勝スカイアース対北蹴会岩見沢の試合が行われることになっていた。

 2007年、スカイアースは『とかちフェアスカイジェネシス』という名称で北海道リーグを戦っていた。対戦相手は、この頃に全盛を誇っていたノルブリッツ北海道。試合はノルブリッツが40でホームチームを圧倒した。フェアスカイが勝っていたのは、サポーターの数。ノルブリッツの声出しサポーターはゼロだったのに対し、フェアスカイは5人ほどいたと記憶する。

 あれから12年。拙著『股旅フットボール』で取材した地域リーグのクラブは、そのほとんどがJリーグやJFLの舞台で戦っている。そんな中、フェアスカイはずっと北海道に留まり続けた。のみならず、その下の道東ブロックリーグで3シーズンを過ごし、チーム解散の危機にも直面している。

 しかし今はどうだろう。スカイアースと名を変えて2シーズン目となる今季は、第9節を終えてリーグ戦全勝。2位の札幌蹴球団とは3ポイント差ながら、このまま3連覇を達成することが確実視されている。そしてこの日も、8チーム中7位の岩見沢を相手に、開始20秒で先制すると、前半だけで7ゴールを挙げた。後半も攻撃の手を緩めず、終わってみれば120という圧倒的なスコアで、岩見沢を完膚なきまでに叩きのめした。

 もうひとつ、特筆すべきが集客である。この試合は、帯広青年会議所が設立した十勝総合スポーツ構想実行委員会が主催する「とかスポ」として開催され、その運営費は北海道新聞のクラウドファンディングサイトに集まった130万円で賄われた。目標としていた1000人には届かなかったものの、およそ850人が訪れ、観客は配布されたブルーのスティックバルーンを叩きながら声援を送っていた。

 12年前には、まったく考えられなかった北海道リーグの光景が、そこにはあった。そんな中、深い感慨に耽っていたのが、スカイアースの統括GM補佐、中村吉克。ちなみに、今季から統括GMの重責を担うのは、元日本代表の城彰二である。

「この光景を藤川さんにも見せたかったですね。でも、もしこの場にいたら、こう言ったと思うんです。『中村さん、まだまだ甘いですね。1000人いかなかったでしょ? 通過点でしかないしょ?』ってね(笑)」

 中村が言う「藤川さん」とは、昨年1115日に胃ガンのため56歳の若さで死去した、前クラブ代表の藤川孝幸のことである。50代のオールドファンなら「読売クラブの守護神」、さらに一回り下の世代ならば「とんねるずの番組で木梨憲武とPK合戦をやっていた人」というイメージが強いだろう。しかし多くのサッカーファンは、藤川が解散寸前だった北海道のクラブに、死の直前まで未来と希望を託していたという事実を知らないはずだ。

 1995年にヴェルディ川崎で現役を引退した藤川は、その後はヴェルディ、ヴィッセル神戸、ベガルタ仙台、アビスパ福岡でGKコーチを歴任。また甲南大学や国際武道大学では、監督も務めている。そんな彼が指導現場を離れて、ソーシャルビジネス・総合スポーツサービス企業のリーフラス株式会社に入社したのが2015年1月のこと。その2年後には、スカイアースの代表に就任している。

 藤川が、それまで縁もゆかりもなかった十勝に降り立たなければ、今のスカイアースの盛況はあり得なかった。そして、「十勝に北海道第2のJクラブを作る」という、壮大なプロジェクトが具体化することもなかっただろう。今回は、北海道十勝スカイアースというクラブの数奇な歩みを縦糸に、そして藤川孝幸という男の壮絶な晩年を横糸に、そこから紡がれた物語をご紹介することしたい。

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