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藤川孝幸が十勝の地に遺したもの 知られざる「空と大地」の物語<2/2>

藤川孝幸が十勝の地に遺したもの 知られざる「空と大地」の物語<1/2>

代表不在のスカイアースに集まる人々

 今季からスカイアースの監督を務める高勝竜が、藤川に誘われてリーフラスに入社したのは、17年4月のことであった。

 高は読売ジュニオール出身で、もちろん藤川のことは知っていた。とはいえセカンドチームの若手にとり、トップチームの守護神は遠い存在でしかない。両者が親しい関係となるのは、それから実に25年後。国際武道大学サッカー部の監督とヘッドコーチとなる2014年まで待たなければならない。

「その後、僕が監督を引き継ぐんですが、いろいろあって16年いっぱいで辞めることになった時、藤川さんから『リーフラスに来ないか』と声をかけていただきました。入社して1カ月後、十勝FCへの経営参画が決まって、それから監督就任の打診があったのが、6月か7月くらい。こちらもそのつもりでいたんですが、実際に監督に就任したのは梅山(修)さんでした」

 高は1964年生まれの55歳、梅山は73年生まれの46歳。どちらもS級ライセンスは取得しておらず、それゆえにJクラブのトップチームを率いた経験もなかった。それでも梅山に白羽の矢が立ったのは、彼がアルビレックス新潟で現役引退した翌年の07年、新潟市議会議員に当選するという、ユニークな経歴に由来していると言われている。再び、高。

「監督選びには、スポンサーの意向が反映されていたようです。若くてフットワークがあって、市議会議員の経験がある梅山さんのほうが、スポンサー受けが良かったんでしょうね。藤川さん自身、クラブの状況を考えると、現場だけでなく営業もできる監督が望ましいと考えていたみたいです」

 ちなみに梅山と藤川の接点は、梅山がヴェルディでプレーしていた00年にまで遡る。藤川からのオファーに梅山が応じ、17年の1012日に「新監督内定」が報じられた。日刊スポーツ北海道版には「人格、人間性ともすばらしい人材。監督としても戦術、戦略にたけている。議員として新潟のスポーツ環境改善に尽力したように、十勝でも大きな力になるはず」という、藤川の梅山評が紹介されている。

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