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【無料公開】『東欧サッカークロニクル』への道 長束恭行(サッカージャーナリスト・通訳)<1/2>

元クイズ王の銀行員、クロアチアのサッカーと出会う

──ここから、長束さんのバックグラウンドについてお話を伺いたいと思います。1973年生まれで、出身は愛知県名古屋市。大学時代はクイズ研究会を立ち上げ、TVのクイズ番組でもご活躍されたそうですが、卒業後は銀行に就職されていますね。当時はサッカーの仕事をすることになるとは、夢にも思わなかったと思いますが。

長束 思っていませんでしたね。職場にひとり、サッカー好きでカントナファンの女性がいて、ずいぶん盛り上がった覚えがあります。ただ、その当時銀行員の話題って、男性だと車か女かゴルフだったんですよ。サッカー好き、クイズ好きなんていうのは異端中の異端です。学生クイズ日本一になったり、クイズ番組の日本一決定戦で2位になったりしても、しょせんは色物なんですよね。体育会系の人も多いですから、ネチネチいじめられまして。まあ、いじめが原因で辞めたわけではないんですけど。

──あまり異端を認めてくれる企業風土ではなかったんですね?

長束 なかったですね。支店長は気に入ってくれたんですが、直属の上司と合わなくて。結局、2年半で辞めましたね。僕らのときはバブルが崩壊して、入社するのも大変でした。いざ入社しても、銀行はまだ古い体質が残っていました。その犠牲になったといえば聞こえはいいですが、まあケツが青かったということです(苦笑)。

──そんな中、クロアチアとの出会いがあるわけですが、きっかけは?

長束 まだ銀行員だった97年、1週間の休暇をもらって行ってきました。そこでディナモ(当時はクロアチア・ザグレブ)とニューカッスルとの試合を見ました。

──また渋いカードを(苦笑)。どういう試合展開でしたか?

長束 すごかったですよ。CL予備予選3回戦で、勝てば本大会進出が決まる試合。まだディナモがCLに出ていなかった頃で、アウェーでは12でニューカッスルに敗れていたんです。ニューカッスルにはアラン・シアラーがいましたが、この試合はケガで欠場していて、代わってファウスティノ・アスプリージャが出場していました。彼がGKと思い切りぶつかりながらもゴールして、それが得点として認められた。そうした疑惑の判定があったアウェーゲームを経て、ザグレブに戻ってのホームゲームです。

──シアラーとかアスプリージャとか、懐かしい名前ですね。ディナモとしては、たとえホームでもニューカッスルに勝利するというのは、かなり難しいミッションだったと思います。

長束 しかも前半のアディショナルタイムで、ゴラン・ユーリッチが退場になります。1人少なくなった上にPKを決められて、トータルスコア13。さすがにこれは厳しいだろうと思っていたら、後半にダリオ・シミッチとイゴール・ツビタノビッチがゴールを決めて33とするんです!

 その後は延長戦になっても、なかなかゴールか決まらず。シルビオ・マリッチのシュートはポストに嫌われました。そしてPK戦に持ち込もうとディナモがDFラインでパス回しをしていたら、テムリ・ケツバイヤにカットされて、決勝ゴールを決められてしまうんですよね。そのままタイムアップです。

──うーん、惜しかったですねえ。でも、確かにすごい試合だ! 長束さんの運命を変えるくらいのインパクトがあったわけだから、ディナモのサポーターにとっても思い出深い試合なんでしょうね。

長束 そうですね。その後、ディナモは2シーズン続けてCLに出ていますが、あの試合のことは誰に聞いても「運命的な試合だった」という答えが返ってきます。僕はクロアチアに来た理由を聞かれたとき「あの試合を観たからだ」と答えると、みんな納得してくれますよ。ツビタノビッチやプロシネチキも納得していました。僕自身、あの試合で人生観が変わって、帰ってから会社に辞表を出しました。

──何も先の見通しなしに?

長束 そうです。銀行員という仕事に疲れていましたし、クロアチアはよくも悪くも本音で生きていける世界でしたから。

<2/2>につづく(1月31日正午更新予定)

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