宇都宮徹壱ウェブマガジン

元Jリーガー 嵜本晋輔が「サッカーを手放して」得たもの ガンバを解雇された男が起業して上場するまで<1/2>

 今週は株式会社SOU改め、バリュエンスホールディングス株式会社代表取締役社長の嵜本晋輔さんにご登場いただく。1982年生まれの嵜本さんは、ガンバ大阪で3シーズン(2001年~03年)プレーするも22歳で現役引退。その後2011年に起業して、7年後の18年にマザーズ上場を果たしたことで知られる。引退後、ビジネスの世界で活躍する元Jリーガーは少なくないが、上場を果たした経営者は嵜本さんが初めてであり、今のところ唯一の存在なのだそうだ。

 現役時代の嵜本さんのポジションは攻撃的なMF。2000年代初頭のガンバといえば、二川孝広、山口智、橋本英郎、そして遠藤保仁というそうそうたる顔ぶれが中盤を構成していた。この分厚い壁を打ち破ることができなかった嵜本さんは、当時の西野朗監督から来季の契約を結ばないことを通告され、1年後に静かにスパイクを脱いだ。それが今では、ガンバのスポンサーとして、年に数回は吹田でのホームゲームに招待される立場となっている。こういう形での凱旋は、やろうと思ってもなかなかできることではない。

 嵜本さんのお話を伺う中で、キーとなったのが「手放す」という言葉。成功体験や築き上げた地位に固執せず、時代のスピードを意識しながらあっさりと手放し、組織と自分自身のさらなる成長を模索し続ける。そんな嵜本さんの生き方は、今般のコロナ禍であらゆる価値観がひっくり返った時代に、何かしらのヒントを与えるような気がしてならない。元Jリーガーのサクセスストーリーでは、決して終わらない今回のインタビュー。最後までお読みいただければ幸いである。(取材日:2020年3月2日@東京)

<目次>

*世の中が大変な時期にあえて新社名でスタートする理由

*「自分がフロントだったらどういう手を打つだろうか?」

JFLから仕切り直すか、それとも「サッカーを手放す」か

*起業からわずか7年で上場を実現させた「引き寄せ力」

*現役Jリーガーの会員制コミュニティをどう考えるか

*起業家タイプは「中盤より前の攻撃的な選手に多い」?

世の中が大変な時期に、あえて新社名でスタートする理由

──今日はよろしくお願いします。奇遇にも、社名変更の翌日でのインタビューとなりました。2011年創業の株式会社SOUから、この3月でバリュエンスホールディングス株式会社となったわけですが、このタイミングで「第2の創業」をした理由を教えてください。

嵜本 株式会社SOUでは、ブランド品や美術品の買い取り販売をメインの事業にしてきました。この分野では競合他社よりもいち早く事業化し、デジタルマーケティングとリアルの場での商談や販売の掛け合わせという部分でも先見性があったと自負しています。それらがあったからこそ、今の成長があったと自己評価していますが、一方でそうしたアドバンテージが煮詰まっているようにも感じていました。

 やはりこのSOUという会社、あるいは既存事業というものにしがみついてはいけない。それは自分自身がかつて「サッカーを手放した」時のようなことが求められるのではないか。そういう時代に入っているのではないかと考えて、このタイミングを「第2の創業」と位置づけ、社名も変更して心機一転することにしました。もちろん、社名に紐付いた認知度を手放すわけではありますが、これは自分自身にとっての決意表明でもありますので。

──それにしても、新型コロナの感染拡大で世の中が非常にざわついた中での新しい船出となりましたが、その点についてはいかがでしょうか?

嵜本 実はSOUを立ち上げたのも、東日本大震災が起こった2011年でした。そして今回、社名を変えたのが、コロナでとんでもないことになっているタイミング。これだけ世の中が大変な時期に、あえて新社名でスタートするということは、厳しいスタートであることに変わりはないですが、試練は成長の機会であると私は捉えています。

──具体的な事業のお話をもう少し伺いたいと思います。社名を変えたことで、新たにチャレンジすることを具体的に教えていただけますでしょうか?

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