宇都宮徹壱ウェブマガジン

あらためて考えたい「読み書きそろばん」のバランス 木村花さんの突然の死について、恥を忍んで思うこと

 コロナのことばかり書いていたので、久々に違った切り口からコラムを書いてみることにしたい。といっても、今回のテーマはある意味、コロナよりもずっとヘヴィである。先日、プロレスラーの木村花さんが、22歳の若さで自ら命を絶った。そのことについて、この機会に考察してみたいと思う。この件について私は、SNSに「誹謗中傷は良くない」などと安っぽい書き込みをすることを厳に慎んできた。もっと熟慮した末に、できるだけ純度の高い言葉を紡ぎ出す。それが、この世界で禄を食む者の流儀であると考える。

 もっとも今回の悲劇が報じられるまで、私は木村花という存在を知らなかったことは、きちんと表明すべきだろう。加えていえば、彼女が出演していた『テラスハウス』も視聴していない。いわば完全なる門外漢なわけで、むやみに触ると火傷する案件ではある。ならば私は、本件に関してスルーを決め込むべきかといえば、それも「否」というほかない。彼女がSNSでの誹謗中傷に絶望して死を選んだのならば、言葉で仕事をする人間のひとりとして、門外漢なりに自分の言葉で考えを形に残す義務がある。

 周知のとおり「言葉」には、話し言葉と書き言葉の2種類がある。そして私たちは、それぞれを聴覚と視覚で認識する。ここで、皆さんに問いたい。もしも相手にダメージを与えるとしたら、話し言葉と書き言葉、どちらが有効だろうか? パワハラめいた恫喝ならば、確かに話し言葉にも一定の破壊力はある。けれども「あなたを軽蔑します」というフレーズだったら、話し言葉よりも書き言葉のほうが効果的である。肺腑をえぐるような書き言葉は、一瞬でも網膜に映ると思いのほか長く留まり、ふとしたことでフラッシュバックを引き起こすからだ。

(残り 2303文字/全文: 3020文字)

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