宇都宮徹壱ウェブマガジン

蝙蝠とバラの街で胎動する「令和型戦略」 福山シティフットボールクラブ<1/2>

 今週は1カ月ぶりの徹ルポとして、広島県1部リーグから将来のJリーグ入りを目指す、福山シティフットボールクラブ(以下、福山シティFC)にフォーカスすることにしたい。中国社会人リーグは2部がないので、広島県1部はJ1から数えて「6部」に相当する。「随分とまたマニアックな」と思われる方も、おそらく少なくないはずだ。

 しかし一方で、情報感度の高いドメサカファンや、地域のスポーツビジネスに興味がある人にとって、福山シティFCは「ちょっと気になる存在」でもあるはずだ。最近のトピックスとしては、今般のコロナ禍で経営危機に陥った際、県リーグクラブとしては異例のクラウドファンディングを立ち上げたことだろう。しかも目標金額の500万円を、わずか3日で達成。最終的な支援総額は876万円、支援者数は535人にも上った。

 こうした事例ひとつとっても、十分に取材する価値あるクラブだと言える。ところが、いくつかの媒体に提案しても、例によって「数字が取れないので」の一言で却下。このコロナ禍でPV単価が目減りし、より食い付きのよいネタを求めているのはわかる。しかし一方で、こうも思う。今はまだ広く知られていなくても、未来を感じさせる取材対象であるならば、メディアとして積極的に伝えていくべきではないか、と。

 FC今治における「岡田武史」のような有名人はいないし、いわきFCのような野心的なスポンサーがあるわけでもない。それでも福山シティFCには、令和の時代ならではの目新しい戦略と、コロナ禍の危機をチャンスに変えるだけのポテンシャルが感じられる。そんなクラブのレポートを、1万字を超える情報量と熱量でもって提供できるのは、もはや当WMのような個人メディアくらいしかないのではないか。

 だからといって、そのことをことさら誇示するつもりはない。むしろ私は、この状況に危機感を募らせている。紙媒体が縮小の一途をたどる中、ネットメディアのコンテンツがどんどん保守化し、かつ画一化していく現状に──。もちろん書き手として生き残るために、環境の変化に順応していくことは必要だろう。しかしながら、いくら数字が担保できるからといって、誰が書いても同じような読後感しか残らないテーマを好んで追いかけたいとは思わない。

 少なくとも当WMが続く限り、私は自分自身が心底から夢中になれるテーマを追求し、力の限りアウトプットしていくつもりだ。もちろん、有料会員の皆さんを満足させることは大前提。その意味で、あえて県リーグにアプローチした今週のコンテンツは「野心作」と言える。他メディアでは絶対に取り上げないであろう、福山シティFCの知られざる物語。最後まで、お読みいただければ幸いである。

<1/2>目次

*なぜ福山で「広島第2のJクラブを作る」のか?

*岡山の元トレーナーがクラブづくりを目指す理由

*「30歳までに自分のクラブを持ち、Jを目指す」

なぜ福山で「広島第2のJクラブを作る」のか?

 久しぶりの長距離移動だった。

「長距離」といっても、新幹線のぞみで3時間40分弱。飛行機を乗り継いで、ヨーロッパやらブラジルやらに取材していた頃であれば、広島県福山市は「ご近所」という感覚だったはずだ。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界は激変した。

 4月7日から5月25日まで続いた緊急事態宣言が解除され、都道府県境をまたぐ移動が全面解除された6月19日以降も、私は引き続き地方取材を自粛していた。これほど長きに渡り、都内に留まっていたのはいつ以来なのか、ちょっと思い出せない。実に4カ月半ぶりとなる、新幹線移動が実現したのは7月3日。車窓の風景が動き出した時は、感無量の気分に浸ることができた。

 そんなわけで、広島県第2の都市である福山に到着。あいにくの小雨模様で、駅のホームから見える福山城は少しけぶって見える。1622年(元和8年)に築城され、日本百名城にも選定されている福山城。私はそれほど城に詳しいわけではないが、これほど「駅チカ」の城というものを他に知らない。ちなみに城がある場所は「蝙蝠山(こうもりやま)」と呼ばれ、蝠の字は福に通じることから福山という地名につながってゆく。福山市の市章も、さながらバットマンのエンブレムのようなデザインとなっている。

 もうひとつ、福山を象徴するアイコンが、バラである。1992年から始まったばらサミット(ばら制定都市会議)は、福山市が全国に呼びかけて始まったもので、これまで当地では3回開催されている。その歴史は意外と新しく、「戦災で荒廃した街に潤いを与えよう」と1000本のバラを植えたのが1956年。市の花がバラに制定されたのは、85年のことである。

 蝙蝠とバラ。この相反するようなモティーフが、福山市のアイコンである。人口は県内2位の約47万人。県庁所在地にして最大の都市(人口約120万人)である広島市からは約100キロ離れている。福山市を中心とする備後都市圏は、中国・四国地方では岡山都市圏、広島都市圏、高松都市圏に次ぐ規模を誇り、広島市とは異なる文化圏を形成している。そんな福山市から「広島県第2のJクラブ」を目指しているのが、広島県リーグ1部所属の福山シティフットボールクラブ。そのエンブレムには、蝙蝠とバラが描かれている。

 それにしても、なぜ、福山にJクラブなのだろうか?

 広島といえば、言わずと知れたサンフレッチェ広島がある。J1リーグ優勝3回、J2リーグ優勝1回。選手と指導者の育成で圧倒的な実績を持ち、幾多の優れた人材を日本サッカー界に送り込んできたのは周知のとおり。その存在感が大きすぎるあまり、サンフレッチェに続いて県内から上を目指そうとするクラブは、これまでまったく現れなかった。そうした中、にわかに注目を集めるようになったのが、福山シティFCであった。

 実は私は、福山には多少の土地勘はあった。FC今治の取材後、しまなみ海道を高速バスで移動し、福山から新幹線で東京に戻る機会がたびたびあったからだ。その印象からすると、福山市は広島市よりも、心理的には今治市や岡山市に近いように感じられる。駅前の風景を見ても、サンフレッチェやカープの影響は希薄。そんな福山に、Jクラブを作る。これを考えた人物は、よほどの知恵者に違いない。

「僕は広島市の人間なんですが、福山の人は地元のことを『誇れるものは何もない』とか『遊ぶ場所もない』とか言うんですよ。県外の人から出身地を聞かれて、『福山市です』って言える人もそんなに多くない。でも誇れるものがない土地ほど、Jクラブを作るのには立地として最高ですよね? まさに、そこに直感的にピンと来たわけですよ。広島第2のJクラブを作るのに、福山ほどふさわしい土地は他にない。あるなら逆に教えてほしいくらいです(笑)」

 そう語るのは、福山シティFC代表の岡本佳大、平成元年生まれの31歳である。彼こそが、私が言うところの「知恵者」。人口が47万人もあって、新幹線のぞみが停車して、それなりに観光資源もあり、独自の商圏と文化を有し、サンフレッチェファンやカープの熱からは遠い。「むしろなぜ、今まで福山にJリーグクラブが生まれなかったのか。そっちのほうが不思議でしたね」と若き代表は力説する。その続きを聞く前に、本稿のもうひとりの主人公にも登場してもらおう。

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