宇都宮徹壱ウェブマガジン

「東大阪を日本のイングランドに」という壮大な夢 FC大阪が花園の指定管理者になった理由<1/2>

【編集部より】FC大阪の疋田晴巳代表取締役社長CEOが、2021年2月10日に60歳で逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 今週は久々に、JFLのクラブにフォーカスすることにしたい。コロナ禍の影響により、今季のJFLは7月18日(第16節)から後半戦のみの開催となった。第19節(4試合)を終えての順位は、1位がHonda FC(勝ち点10)、2位FC大阪、3位ヴェルスパ大分、4位松江シティFC(いずれも勝ち点9)となっている。昇格圏内の上位4チームのうち、Jリーグ百年構想クラブの承認を得ているのはFC大坂のみ。今月末、J3クラブライセンス交付が認められれば、FC大阪はJ3昇格に向けて一気にはずみがつくことだろう。

「大阪第3のJクラブ」を目指すFC大阪が、J3ライセンスの申請を行ったのは6月30日。実はその11日前の6月19日、重要な決定が下されていた。ホームタウンの東大阪市が、花園ラグビー場を含む花園中央公園エリアの指定管理者を「東大阪花園活性化マネジメント共同体」に定める議案を、市議会本会議で可決したのである。同共同体を構成するのは、株式会社東大阪スタジアム(今年8月よりHOS株式会社)、天正株式会社、そしてFC大阪の3社。今年10月から運営が始まり、期間は2040年まで20年間に及ぶ。

 花園といえば、言うまでも日本ラグビーの聖地であり、昨年のラグビーワールドカップの会場のひとつにも選ばれた。公益財団法人日本ラグビーフットボール協会は、株式会社ヒト・コミュニケーションズとともに「ワンチーム花園」として指定管理者に名乗りを挙げたものの、あえなく次点。一方、指定管理者となったFC大阪は、花園第2グラウンドの改修整備の協定を市と結んでおり、5000人収容の試合会場とすることが決定している。早ければ来年にも、花園でJリーグの試合が定期的に開催されることとなるのだ。

 この件に関しての報道は、どうしても「ラグビーvsサッカー」という構図で語られることが多い。だが、それほど単純な話でもなさそうだ。FC大阪の疋田晴巳代表取締役社長は、ことあるごとに「花園がラグビーの聖地であることは歴史的事実」「ラグビーとサッカーが共存しながら、それぞれ底辺が拡大していけばいい」と発言している。FC大阪が東大阪市をホームタウンに定めてから2年。クラブは今、どのようなビジョンを花園に描いているのだろうか。疋田社長に話を聞いた。(取材日:2020年7月9日@大阪)

<1/2>目次

*「ラグビーもサッカーも、もともと同じフットボール」

*「競技ありき」ではなく「どう活性化させていくか」

*花園第2の改修で「高校生ラガーにもよりよい環境を」

「ラグビーもサッカーも、もともと同じフットボール」

──今日はよろしくお願いします。さっそくですが、今回のJ3ライセンス申請がFC大阪にとって、どのような意義があったのかをお話いただけますでしょうか。

疋田 ようやくここまで来たか、という想いですね。と同時に、ここがさらなるスタートでもありますので、もっともっと地域から認められる活動に厚みを持たせないといけない。クラブとして、より重い責任を担うことになったと思っています。

──おりしも、このコロナ禍での申請ということで、その意味でも感慨深かったのでは?

疋田 そうですね。百年構想クラブの承認を受けて、この勢いに乗っかろうと思っていた時にコロナの向かい風に見舞われました。われわれも試合が半分になってしまいましたが、社会全体がコロナの影響を受けている中、われわれのクラブに何ができるのか。われわれが社会に還元できる価値とは何なのか。あらためて考える機会にはなりましたね。

──のちほど、花園ラグビー場について詳しく聞きたいと思いますが、FC大阪は2018年から東大阪市をホームタウンにしています。私自身は、去年のラグビーワールドカップの取材で初めて訪れたんですけど、セレッソの大阪市ともガンバの吹田市とも明らかに異なる雰囲気を感じました。東大阪市の独自性というものを、東京から来た私にもわかりやすく説明していただけるとありがたいのですが(笑)。

疋田 東大阪市というのは今から50年以上前(1967年)、布施市、河内市、枚岡市が合併して生まれたんですね。このうち旧河内市というのが東大阪の中心でして、いろいろな面で大阪の色が濃い土地であります。また東大阪は「ものづくりの街」としても有名で、ここにはおよそ6000もの事業所があるんですね。これは大阪府でも突出した数で、中には人工衛星の打ち上げに関わっているようなベンチャー企業もあるんです。

──それはすごいですね。一方で地域の課題を挙げるとしたら?

疋田 中小企業が多いということで、どこも後継者問題を抱えているというのが、まずありますね。それと市全体での課題としては、観光の目玉がないこと。もちろん「ラグビーの街」というのはありますけれど、どうやってスポーツツーリズムを盛り上げていけるのかというのは、行政の中でも課題としてずっとあったようです。

──そんな中、FC大阪はどのようにして、東大阪をホームタウンにするクラブとして、受け入れられるようになったんでしょうか?

疋田 もともとガンバさんが北摂、セレッソさんが大阪市ということで、われわれが最初にアプローチしたのは政令指定都市の堺市だったんです。まだセレッソさんのホームタウンになる以前、10年くらい前の話ですね。いちおう打診はさせていただいたんですけど、当時はわれわれも関西リーグのちっぽけなクラブでしたから、本気で受け止められることもなく、そうこうしているうちにセレッソさんに決まってしまったと。

──そこで方針転換して、東大阪にアプローチするようになったと。いつからですか?

疋田 これが8年前ですね。東大阪市は、ガンバやセレッソの影響は少ないですし、大阪におけるプロスポーツの空白地帯だったんです。しかも、堺市に次ぐ人口(約50万人)を持っています。何のつてもないまま、地道に通っているうちに市役所の方とつながりまして。

──東大阪が「ラグビーの街」という認識は、当然お持ちだったわけですよね?

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