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宇都宮徹壱ウェブマガジン

「東大阪を日本のイングランドに」という壮大な夢 FC大阪が花園の指定管理者になった理由<2/2>

「東大阪を日本のイングランドに」という壮大な夢 FC大阪が花園の指定管理者になった理由<1/2>

<2/2>目次

*前身は大阪府5部の『ナイスサッカーチーム』?

*奈良クラブとの切磋琢磨があったから今がある

*グレミオとの提携でクラブカラーが赤から水色へ

前身は大阪府5部の『ナイスサッカーチーム』?

──ここからFC大阪の成り立ちについて、立ち上げ当初から関わってこられた疋田さんにお話を伺いたいと思います。「大阪3番目のJリーグ入りを目指すクラブ」ということで、何だかぽっと出のようなイメージもありますけど、実はFC大阪の設立は1996年。セレッソがJリーグに参入した翌年に誕生しているんですよね。

疋田 そうなんですよ(苦笑)。といっても、もともとは純然たる草サッカーチームでして、今はない大手人材派遣会社の社員がレクレーションで始めたのがスタートです。それが私の前職でして、今は買収されてバラバラになってしまったんですけど。

──ちなみに、当初からFC大阪という名前ではなかったと。

疋田 最初は『ナイスサッカーチーム』という名前でした(笑)。大阪府5部で登録しまして、私みたいな素人でも試合に出ていました。社員だけでなく「周りにサッカー経験者がいたら連れて来い!」みたいな感じで、舞洲の土のグラウンドを抽選で確保して週末に試合をするという感じだったんです。

──そういう牧歌の時代を経て、府リーグ1部、さらには関西2部から1部と上がっていくわけですが、どこから「さらに上」を目指すようになったんでしょうか?

疋田 府リーグ2部だった2006年からですかね。前職の会社が買収されて、私が立ち上げたアールダッシュという会社がチームを引き継ぐことになったんです。その頃から、サッカー経験者を積極的に採用していたんですよ。当時のメインの仕事は広告やプロモーションで、楽天資本になる前のヴィッセル神戸さんのお仕事もしていて、その関連でJリーグキャリアサポートの方とも知り合ったんですね。そこで「若くして引退した選手の受け皿を探している」という話を伺ったんですよ。

──なるほど、今の副社長の近藤(祐輔)さんも、その流れですか?

疋田 そうです。それまでザスパ草津でGKをやっていて、バンディオンセ(加古川)を経て09年にウチに来てくれたんですよね。07年に監督だった小川雅己さんもそう。

──小川さんは、ツエーゲン金沢の初代監督だった方ですよね。

疋田 そうです。その後は女子サッカーの指導を続けて、去年はスペランツァ大阪高槻レディースの監督をされていましたね。

──そうですか。そして府1部に昇格した08年からは、なんとアトランタ五輪メンバーだった森岡茂さんが監督に就任! これには私も驚きました(笑)。

疋田 森岡さんもJリーグからご紹介いただいたんですよね(笑)。私も最初は「え、あの森岡さんですか?!」って驚きました。でもアトランタ戦士を監督に迎えられれば、間違いなくクラブに箔が付きますし(笑)、森岡さんの指導を受けられるということになれば選手も喜ぶだろうと。そこからですね、私も「こうなったら行けるところまで上に行こう」と考えるようになったのは。さすがにJリーグというのは、まだまだ雲の上の存在でしたが。

──森岡さんにお給料払うのって、けっこう大変だったんじゃないんですか?

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