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沼田前社長の12年間があったからこそ今の自分がある 小島耕(水戸ホーリーホック代表取締役社長)<2/2>

沼田前社長の12年間があったからこそ今の自分がある 小島耕(水戸ホーリーホック代表取締役社長)<1/2>

<2/2>目次

*「感極まることのなかった」退任セレモニー

*新潟の是永社長からアドバイスされたこと

*5年かけて年間予算をJ2平均に持っていく

「感極まることのなかった」退任セレモニー

──沼田さんの退任セレモニーが、7月19日に行われたそうですね。どんな雰囲気だったんでしょうか?

小島 町田戦の前に、ファン・サポーターの皆様に向けて挨拶してもらいました。ただしこのコロナで、お客さんが1000人ちょっとしか集められなかったのが本当に残念で。本来でしたら満員のスタジアムで、沼田が社長として頑張ってきた12年間を労うようなセレモニーにしたかったんですけどね。

──コールもできませんでしたしね。

小島 そうなんですよね。それでも、サポーターがたくさん横断幕を出していただいたのはありがたかったです。もっとも社長を退任するからといって、沼田はクラブから離れるわけではありません。今後はスタジアム作り、ユースの拠点づくり、そしてクラブを中心とした街づくりがテーマとなります。ですので、僕も「沼田が素晴らしいスタジアムを作ってくれるので、僕はそれにふさわしいクラブを作りたいと思います」とスピーチさせていただきました。あとで「プレッシャーがかかるじゃないか!」って言われましたが(笑)。

──そうでしたか(笑)。沼田さんは感極まるようなことは、なかったんでしょうか?

小島 それが泣かないんですよね(苦笑)。セレモニーもそうだし、その前の退任会見もそうなんですけど、まったく感極まることはなかったですね。沼田だけでなく、ご家族もそういうスタンスなんです。それこそ12年前の就任当時は、家族総出でチケットのもぎりもやっていたそうです。今回、クラブスタッフが(セレモニー出演の)オファーしたのですが、ご遠慮されたという次第です。

──12年前の話が出てきたので、ここから水戸ホーリーホックの歴史について振り返りたいと思います。小島さんはエルゴラ時代、地元のJ2クラブをどのように見ていたのでしょうか?

小島 どちらかというと、J1の鹿島アントラーズのほうばかりを見ていましたね。社会人になって実家に帰る時、水戸のことを意識するようになりました。たまに実家のそばで練習していたんですよ。当時は決まった練習場がなかったし、たまにサポーターがシュート練習の球拾いをやっていましたね。当時はまさか自分が、水戸のクラブ経営に関わるようになるとは夢にも思いませんでした。

──そりゃあ、そうでしょう(笑)。先ほどクラブで最も社歴が長い鈴木郁恵さんに、水戸ホーリーホックが大きく変わるきっかけとなったのはいつか、という質問をさせていただきました。彼女の答えは「東日本大震災があった2011年」ということだったんですが、小島さんのお考えはいかがでしょうか?

小島 僕も同意見です。その年、ちょうど僕は映像制作会社を立ち上げたんですが、番組が全部止まってしまって大変だったことを思い出します。ウチの実家も深刻な被害を受けました。東北の被害ばかりが報じられていましたが、茨城県もけっこう深刻な被害を受けていたんですよ。ケースタもメインスタンドが大きな被害を受けましたし、地元経済も深刻な状況でした。僕の中では、水戸は立ち直れないんじゃないかという危惧はありましたね。

──この時、沼田さんはクラブの社長に就任して3年目でした。しかも就任した08年には、リーマン・ショックがあったばかり。荒波続きの中、よくぞクラブ経営を立て直しましたよね。

小島 おっしゃるとおりです。あの時、経営のトップとして、Jクラブであることを諦めるという選択肢もあったと思うんですよ。でも結局は、苦しい方の道を選びました。この地に、プロクラブを存続させた功績は計り知れないです。

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