宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】あの日、あの取材をあの場所で(2015年10月3日 アスルクラロ沼津vsソニー仙台FC@沼津市)

 5年前の10月3日は静岡県愛鷹広域公園多目的競技場にて、JFLのアスルクラロ沼津vsソニー仙台FCを取材していた。ホームの沼津は65分に蔵田岬平のゴールで先制したものの、71分(前澤甲気)と90分(内野裕太)に相次いで失点して12で敗戦。この年のソニー仙台はやたらと強く、2位ヴァンラーレ八戸に12ポイント差をつけて優勝している(沼津は5位)

 写真は、沼津の吉田謙監督。東京生まれの読売育ちで、現役時代は読売サッカークラブジュニオール、NKK、甲府クラブ(のちヴァンフォーレ甲府)、そして98年にジヤトコサッカー部で現役を引退している。ジヤトコ廃部後も静岡県東部に残り、ジュビロ(現・アスルクラロ)沼津U-15で指導者としてのキャリアをスタート。この年はトップチームの監督に就任して最初のシーズンであった。

 なぜ、この地味なカードを取材したのか、説明しておくべきだろう。沼津での現役復帰を宣言した元日本代表、「ゴン」こと中山雅史(当時48歳)が出場するという情報が、まことしやかに流れていたのである。結果、この日の観客数は通常の3倍近い8337人(当時のクラブ新記録)。取材者についても、大手メディアを含めて45人が愛鷹に駆けつけた(いつもは2~3人だそうだ)。ところが当の中山は、ベンチ入りすらせず。拙著『サッカーおくのほそ道』から引用する。

 試合後の会見、指揮官の吉田に「中山をベンチ外にすることに迷いはなかったのか」とあえて尋ねてみた。案の定、吉田は少し憮然とした表情を浮かべながら「中山選手は30人いる選手のひとり。特別枠を設けて彼を試合に出すようなことをするつもりはないし、それは日本サッカーのレジェンドに対して失礼だと思う」と語った。

 健全な回答を得られて、私は密やかに安堵する。相手との力関係、そして当人のコンディショニングを考慮すれば、いくら話題性があるといっても、ベンチ入りさせなかったのは当然の判断であったと思う。

 あれから5年。吉田監督は20年以上住み慣れた沼津を離れ、今季から指揮を執るブラウブリッツ秋田は負けなしでJ3の首位を独走している。一方の中山は、引き続き沼津に所属しているものの、いまだに1試合も出場していない。ちなみに秋田の吉田監督には、最近リモートでのインタビュー取材をさせていただいた。今月末の徹ルポでは、今季の秋田の強さについて、私なりに深堀りしていく予定だ。

<この稿、了>

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ