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【無料公開】わが「心の師」が語る雑誌の黄金時代と50代への覚悟 佐山一郎(作家・編集者)2013年のインタビューより<1/2>

サッカー情報の過多について思うこと

──佐山さんがこれほど貪欲にサッカー本を読み続けられるのって、かつてサッカーに関する書籍が非常に限られていたことが影響していたと『サミット』に書かれてあって納得したことがあります。

佐山 昔は飢餓感というか、肝心な情報が乏しかったですよね。街を歩いていて「サ」ってカタカナを見ただけで駆け寄ったという人もいたような時代でしたから。飢えのもたらす暗い情熱が、今もくすぶっているというのはあるでしょうね。

──似たような話は、大住良之さんからも聞いたことがあります。洋服の生地で「(シア)サッカー」というのがあって、それにぱっと目が行ってしまったとか(笑)。

佐山 アイビー時代の凹凸のあるマドラスチェックですね。そういう時代を過ごしてきたから、今でも朝起きるや否やスポーツ新聞のサッカー情報を必ずネットでチェックしますね。しないと気持ち悪くなる。代表戦の翌日とか、『スポナビ』の監督会見全文や選手コメントとか無くなったら、泣いちゃうよ。

──そう言っていただけると、続けてきた甲斐があります(笑)。

佐山 わずかな量の選手コメントやベタ起こしの監督会見でも、試合を思い返しながらつなぎあわせていくと「ああ、そういうことだったのか」という感じで謎が解けますよね。そういう調査欲も、情報飢餓の時代を過ごしてきたから湧いてくるんだと思います。

──それはそれでよくわかるんですが、逆に今はサッカー情報の飽食の時代ですよね。正直、容量オーバーになることってありませんか?

佐山 それを感じるのは、むしろ試合映像の方ですかね。国内外の試合を追い切る方がしんどいというか。録画した試合を、前後半の頭の方と最後の15分だけ見ればいいと言う人もいる時代です。とは言っても、録画した試合がたまっていくのが精神的にはきついですね。その点、本は速読が利くし、検索機能も飛躍的に増していますからね。

──そういう境地に達すると、本の見方というものも一般消費者とはかなり違ってくるように思うのですが、いかがでしょうか?

佐山 なんかね、気がつくと出版の世界で長くなっていたので、雑誌なんかでも後ろから読んだりするんですよね。雑誌の後ろの方を見て、手を抜いていないかどうか見るんですよね。

──編集者が、ですか?

佐山 そう。ちょっと大げさに言えば、どんな時でも出版人である自分を忘れるべきではないと思うんです。明日が世界の終わりであっても、本を作ったり読んだりというね。根性論とかじゃないけど、読んでもらいたいとか、届けたいとかの強い意志。孤立無援に近い自分ひとりの価値観で、世界を変えてみせるゾという気概みたいなもの。そんな熱い思いがあっても伝わらない厳しい時代だからこそ、もしそれが成就できれば人一倍幸せなことだと思うわけですよ。

──なるほど。そんな佐山さんご自身は、最初から物書きのお仕事を志していたんでしょうか?

佐山 いや、実は他のこともやっていたんです。10代から音楽をやっていて、フォーク、ロック、ハードロックって進化していったんですよ。ジャズは聴くだけでやるほどのテクはなかった。いちおう、ヤマハの賞取ったり、グループでレコード1枚出したりはしているんです。東宝レコードの同期に草刈正雄さん、あとカルーセル麻紀さんなんて人もいます(笑)。

──カルーセル麻紀も歌っていたんですか?

佐山 歌っていましたね。そんなことを1972年から73年ぐらいまではやっていて、20歳で見切りをつけたんですよ。それからは、音楽、ファッション、インタビューと、もっぱら書いたり編集したりする方に。作業としては地味だけど、飽きずに死ぬまでやれる仕事だなとは当初から思っていました。

「話のわかる編集長に救われてきた」

──ちょっと穿った見方かもしれませんが、この本は若いブックライターに向けたメッセージが満ちているようにも感じられるのですが、その点についてはいかがでしょうか?

佐山 まあ、おのずと「遺言感」は出てくるよね(笑)。サッカーの本ではなくて、野球でパンチョ伊東(伊東一雄)さんっていう人がいらしたでしょ?

──いらっしゃいましたね。パ・リーグの元広報部長で野球解説者だった方ですよね。……今、ネットで検索しましたが、02年に68歳で亡くなっています。もう10年以上も前ですね。

佐山 あの方が、生前に『サンケイスポーツ』にコツコツ書いていたものが山ほどあってね。メジャーリーグと日本野球との関わりについての記述が、結果としてひとつの日米野球史になっています。(本棚から探し出してきて)これこれ。

──膨大な蔵書から、すぐに本を取り出してくるのがすごいですね。『メジャーリーグこそ我が人生』ですか。随分と古いように見えますが、03年ですから亡くなった直後に出た本なんですね。

佐山 そうそう。ご存命中だったら、こんなにいい本にならなかったのでは、という不埒な感想も出てきますよね。さすがに60過ぎると、ここから先の著述は、ある種の「遺言集」みたいなものとして否応なく、舞踏家モーリス・ベジャールが生前言った「本は棺だ」感が出てしまうな、というのが自分の中にあったんですよ。書評集ではないけれど、類書としてはこの『メジャーリーグこそ我が人生』が、いちばん近いような気がします。

──佐山さんはサッカー以外も、さまざまな書評をお書きになっていますよね。今、野球の話が出ましたけれど、サッカーライティングの特殊性といったものについては、どのあたりにお感じになりますか?

佐山 特殊性……。僕はね、新聞記者のサッカーの原稿は、実にもう潤いを感じないのね。万人共通、簡潔明瞭を旨とするじゃ、作品化は無理だろうと。

──80年代のサッカー専門誌を読み返してみても、今と明らかに文体が違っていて、まさに新聞記者っぽいですよね。

佐山 一方で80年代には、アメリカのノンフィクションを範とする、僕は「リテラシー(文化的)ジャーナリズム」って言っているんですけど、そういう知的でタフなノンフィクションの時代が日本にもあったんですよね。

 で、彼らのほとんどが自分より年上の人たちで、担当していた猪瀬直樹さんだとか、近年、物議をかもした佐野眞一さんだとかが比較的近い所にいたんです。その人たちより人気、実力で先行したのが沢木耕太郎さんだったんです。ただ、さわやか万年青年の沢木さんほど同業者のジェラシーを浴びた人もいないというくらいでね。

──そんな中、佐山さんご自身はスポーツやサッカーを書くことに関しては、すんなり入っていけた感じだったんですか?

佐山 うーん、それこそ野球なんかは、スイスイ書けて褒められもしたんですよ。でもサッカーはそうでもなくて、上手く書けないなと思った時に「心の師匠」となったのが、同い年の後藤健生だったんです。彼が書いている文章だけが、世界的スタンダードをいっているなっていうことにすぐ気づきました。あと僕の場合は、やはり編集者に恵まれていたというのがありますね。

──『サッカー批評』の生みの親である、双葉社の真井新さん(故人)ですか?

佐山 真井ちゃんももちろんそうだし、『Number』の編集者だった今村淳。一級下の今ちゃんは、98年に難病で亡くなっているんだけど、釜本邦茂引退特集号や日本代表の取材で、平壌やソウルにも行かせてもらいました。あと80年代の後半はプロ、アマの野球にも強い『イレブン』の編集長だった手塚宣武さんですね。そして『サッカー批評』と『フットボールサミット』にかかわる森哲也も21世紀に入って救世主のように現れた。

──そうそうたる顔ぶれですね。

佐山 共通して言えるのは、よく酒飲んだり、遊んだりしたなあということ。一緒に観た試合の数より飲食の回数の方が多いんじゃないかというくらいで(笑)。まあ、そういう感じで、話のわかる編集者に救われてきた歴史というのはありますね。

──「遺言感」の話に戻りますけど、下の世代が書いたサッカー本を読んで、ブックライターの後輩たちに何か言いたいことがあるとすれば、どんなことでしょうか?

佐山 若手を一括りにできないですよね。若くても、すごい人はすごいし。むしろ編集者に言いたいという感じかな。「このままで(本として)出しちゃっていいの?」って言いたくなることが多いです。だって、デビューする人の原稿を最終的にチェックする立場にあるのと同時に、最初の読者でもあるんだから。ただ、不足を感じても、因業ジジーみたいに顔には出さないようにしているんです。

 そういえば佐山さんって、遠回しにおっしゃって、後で「あれ、嫌味だったのか」っていうのはありますよね。

佐山 後で痛痒くなるような感じで、チクッと刺せるようになると愉しいでしょうね(笑)。

 まあ、本当に勉強になることばっかりですよ。

佐山 なんかそれも、後で痛痒くなりそうなヨイショだなー(笑)。

<2/2>につづく

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