宇都宮徹壱ウェブマガジン

クラブ社長が語る「J2年代記」 FC町田ゼルビアの場合<1/2>

 先週に発売されたフットボール批評のissue32『禁断の「脱J2魔境マニュアル」』の売れ行きが好調らしい。J2のコンテンツ需要というものは、それなりにあるだろうという予測はあったものの、実際に数字にも表れていると聞くとうれしい。ぜひとも「アーセナル特集」以来となる重版を達成してもらいたいものだ。

 さて今回のJ2特集で、私は『39番目と40番目のクラブから見た「完成されたJ2」の10シーズン』と題し、降格制度が初めて導入された2012年からの10シーズンを振り返る原稿を書かせていただいた。当企画でインタビューさせていただいたのは、松本山雅FCの神田文之社長、そしてFC町田ゼルビアの大友健寿社長である。当WMでは、そのスピンオフ企画として、山雅とゼルビア、それぞれのクラブが「J2に何をもたらしたのか」についての徹ルポを掲載。先週の山雅篇に続いて、今週はゼルビア篇をお届けする。

 共に2012年にJクラブとなった、山雅とゼルビア。この2つのクラブはその後、実に対照的な歩みを見せる。山雅は反町康治監督に率いられた8シーズン、2回のJ1昇格を経験。これに対してゼルビアは、J2最初のシーズンで最下位に沈んでJFLに降格。2016年にJ2復帰を果たすも、その後はJ1ライセンスがなかなか交付されず、2018年は最終節まで優勝の可能性を残したもののプレーオフ参戦は叶わなかった。

 いずれも「仕方がない」と言えば、それまでの話。ここで注目したいのは、ゼルビアが目も当てられない不運に見舞われるたびに、Jリーグが制度の見直しを行ってきたという事実である。J1での経験をフィードバックすることで、J2のレベルアップに貢献したのが山雅だとすれば、それとは違った形でゼルビアもJ2に「貢献」している。今回は、少しやりきれなさも感じられる、ゼルビアの10年の物語をお伝えすることにしたい。

<1/2>目次

*「サッカーどころ」にJクラブが生まれて

J2からJFLに降格した最初で最後のクラブ

*ぬか喜びの最終節と淡々とした入れ替え戦

「サッカーどころ」にJクラブが生まれて

 東京都に緊急事態宣言が発出されて1週間後の5月2日、FC町田ゼルビアのホームスタジアム、町田GIONスタジアムで行われたレノファ山口FC戦を取材する。昨年まで工事中だった。バックスタンドは無事に完成。しかし、この日はリモートマッチということで、マスコットのゼルビー以外は誰もいなかった。

 前日、相模原ギオンスタジアムで行われたSC相模原の試合では、1608人の観客を集めている。町田は東京都、相模原は神奈川県だが、ほとんど隣町。しかもスタジアムの名前も、うっかり間違えそうなくらいそっくりだ。にもかかわらず、町田は無観客で相模原はそうではない。理屈ではわかっていても「何だかなあ」という気分になる。

 それにしても、3階建て屋根付きの鉄筋コンクリート制のバックスタンドは、ピッチ上から眺めると迫力満点。これでスタジアムの収容人数は5000人増となり、メインスタンドとその他の席を合わせてJ1基準の1万5000人を超えることとなる。ここがまだ「野津田」と呼ばれ、メインスタンド以外は芝生席だった時代を知る者としては、実に感慨深いものがある。

「宇都宮さんに久々に取材していただけるということで、この本を持ってきました。懐かしいですよね(笑)」

 試合の数日前、株式会社ゼルビアの代表取締役社長、大友健寿にインタビュー取材をする機会を得た。ひととおりの近況報告ののちに、大友が取り出したのが拙著『股旅フットボール』。初版が2008年だから、今から13年前の「古書」だ。地域リーグからJリーグを目指すクラブをレポートした本書の中に、関東リーグ1部だったFC町田ゼルビアも登場している。そして取材対象のひとりが、当時30歳の大友。肩書はNPO法人の「事務局長補佐」であった。

「僕がゼルビアで働くようになったのは、2005年の年末からです。それまで務めていた会社をやめて、2006年からどっぷり。まさか、こんな(社長という)身分になるとは思いませんでした(笑)」

 大友は1977年生まれ。この年、ゼルビアの原型となるFC町田が設立されている。都内の「サッカーどころ」と知られる土地柄ゆえ、大友も小学5年生だった10歳でFC町田に入団。中学・高校時代は、父親の転勤先の鹿児島で過ごしたので、いったんはFC町田から離れたが、それでもクラブとの縁は続いた。

「実は『77年会』みたいなものがあるんですよ。元日本代表の戸田(和幸)くんもそう。彼が2002年のワールドカップでメンバーに選ばれた時、みんなで壮行会みたいなことをやりました(笑)。みんな10歳からつながっているんですよ」

 何だか1960年代のセルティックみたいな話である。しかもサッカーの盛んな地方都市でなく、東京都でこんなストーリーが存在することが素晴らしい。だが今回の取材目的は、そこではない。テーマは「町田ゼルビアにとってのJ2」。ゼルビアがJ2に昇格した2012年は、J2が22クラブの「定員」が埋まり、降格制度が初めて導入されることとなった。つまり「完成されたJ2」となった年だったのである。

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