宇都宮徹壱ウェブマガジン

新しいクラブ支援の形「トークン」は定着するか? 田中隆一(株式会社フィナンシェCEO)<1/2>

 本題に入る前に、まずはハフコミの告知をさせていただきたい。来週月曜日の20時から、このようなウェビナーを開催する。

 今月の特別講師は、スポーツエンターテイメントアプリ「Player!(プレイヤー)」で知られる、株式会社ookamiの加藤宏大さんと遠藤雄己さん。昨年6月27日に鹿島アントラーズが開催したライブ配信企画「鹿ライブ」では、このPlayer!の存在が不可欠だったことは、昨年の取材で明らかにしている(参照)。今回のウェビナーでは、このPlayer!の活用によって「誰でも簡単にスポーツ配信ができる」未来について語っていただく予定だ。第1部はYouTube Liveでどなたでも視聴できるので、ご興味ある方はぜひご参加いただきたい。

 さて、本題。皆さんは「トークン」をご存じだろうか? 最近ではJ2ザスパクサツ群馬、関東2部の南葛SC、さらには川越市2部のCOEDO KAWAGOE F.Cが、このトークンの発行と販売を発表している。このブロックチェーンを活用したトークンプラットフォーム「FiNANCiE」を運営する、株式会社フィナンシェの田中隆一CEOが今回のゲスト。田中さんはスポーツビジネスのメディアには、たびたび登場しているが、サッカー専門メディアでのインタビュー記事は、当WMが(おそらく)初となる。

 ここ最近、意識的にスポーツビジネスの分野にも切り込んでいるWMだが、私自身はブロックチェーンについては素人である。最近は勉強も兼ねて、南葛SCのトークンを1万円分突っ込んでみたのだが、現時点でその良さや可能性を明確に実感できているわけではない。それでも、今回の取材を通じて「たぶん、こういうことなんじゃないかな」というアウトラインは見えてきたように感じる。箇条書きにすると、以下のとおりである。

・トークンは、サポーターがクラブを支援する新たなツールである

・トークンは、仮想通貨よりもクラウドファンディングに近い

・トークンは、金儲けしたい人よりも「応援したい人」向けである

・トークンは、ソシオ的なコミュニティづくりの機能も持っている

 私がこのような結論に至ったのは、かねてより取材させていただいている渋谷シティFCの活用事例を知ったからだ。国内のサッカー界でトークンを最初に取り入れたのは、J1湘南ベルマーレだが、実は2番目が渋谷シティ。この東京都1部リーグ所属のクラブは、日本のサッカークラブにおけるトークン最初の成功事例であると言ってよい。そして、このハーフウェイクラブでの事例があったからこそ、今回こうしてWMでも取り上げることと相成った次第である。

 そんなわけで本稿は、渋谷シティでの取締役である小泉翔さんにもご参加いただく形で、フィナンシェの田中さんへのインタビューをお届けすることにしたい。繰り返しになるが、私はブロックチェーンに関しては素人ではある。しかし素人なりに、なるべくサッカーファンに腹落ちする形でのインタビューを心掛けたつもりだ。このトークンが、新たなクラブ支援の重要なツールとなり得るのか否か、このインタビューからご判断いただければ幸いである。(取材日:2021年6月15日、オンラインにて取材。TOP写真は渋谷シティFC提供)

<1/2>目次

*清水の元サッカー少年がブロックチェーンと出会うまで

*湘南ベルマーレがトークンを発行・販売した理由とは?

*なぜトークンは(今のところ)国内限定にしているのか

清水の元サッカー少年がブロックチェーンと出会うまで

──今日はよろしくお願いします。トークンについて伺う前に、まずは田中さんのプロフィールを振り返りたいと思います。1977年生まれで静岡県出身。高校は清水東ということですが、サッカー部だったんでしょうか?

田中 途中でバスケ部に転向するんですが、入学した時点ではサッカー部でした。同期が中払(大介)さんと迫井(深也)さん。ひとつ上が西澤(明訓)さんと山西(尊裕)さんで、高原(直泰)さんは2つ下ということになりますね。

──さすがに錚々たる名前が並びますね(笑)。当時、どういった将来を思い描いていらっしゃったのでしょうか?

田中 ちょうどJリーグが開幕した1993年は高校生だったんですが、そこでMacとインターネットに出会ったんですよね。まだ国内でネットが普及する以前の話ですので、わりと早いほうだと思います。ちょうど慶應(義塾大学)に「インターネットの父」と呼ばれる、村井純先生という方がいらして、その先生のもとで学びたいと思っていた頃ですね。幸い推薦で、慶應の理工学部に進学することができました。

──なるほど。それにしても93年というのは、確かに早いですね。Yahoo! JAPANができたのが3年後の96年で、私がネットに初めてアクセスするようになったのも、その頃だったと思います。

田中 Windows 95が出る前で、まだMS-DOSみたいなタイミングでしたからね。たまたま実家にネット環境があって、高校時代はニフティのパソコン通信から始めました。「Mosaic」なんてブラウザがあったことなんて、今の若い人はご存じないでしょうね(笑)。

──Netscape」も怪しいでしょうね(笑)。大学卒業後は、ネットの世界でビジネスをやっていこうというところで、DeNAに入社されたのでしょうか?

田中 実はその前に、デロイトトーマツコンサルティングに2000年に入社しまして、そこがキャリアの第一歩でした。DeNAに転職したのは2002年上旬で、まだ社員が50人くらいの時代です。転職のきっかけは、DeNAが当時「ビッダーズ」という、モバイルオークション・ショッピングサイトをやっていたんですが、それが面白そうに感じられたからです。これからのインターネットは、C2Cで人と人がダイレクトなコミュニケーションするところに、オープン化の価値がある。そう確信してDeNAに入社しました。

──2002年といえば、SNSなんてなかった時代に「C2Cで人と人がダイレクトなコミュニケーションする」と予見されていたというのは、素晴らしい先見性だと思います。それで2005年には、今度は株式会社ノッキングオンに移って、位置情報に基づくゲームを担当。その3年後にはCEOに主任されるんですが、こちらではどんなサービスを提供されていたんでしょうか?

田中 いわゆるガラケーの地域情報を使ったサービスを出していました。リアルタイムで地域情報を発信していたんですけど、最終的には事業売却しました。

──次のお仕事がZynga。当時、Facebook上で一番大きかったソーシャルゲームのグローバル企業ということですが、転職されたのが2010年。この時は、どんなテーマに向き合っていたのでしょうか?

田中 Zyngaは確かにソーシャルゲームの会社なんですけど、僕としては他者との競争よりも、ゲーム的なコンテンツを介して人と人が協力し合うとか、競争するにしてもお互いを高め合うとか、そういうところがインターネットの価値だと思っていました。そこからブロックチェーンという、新たな可能性を考えるきっかけになりましたね。

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