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【無料公開】メンバーの固定化は指揮官だけの問題か? なでしこJAPANの敗北と再生をめぐる対談<2/2>

なぜメンバーは固定化されてしまったのか

──ここで、佐々木則夫体制が8年の長きにわたって続いたことの是非について考えてみたいと思います。確かに長期政権ゆえのマンネリ化は否めなかったわけですが、監督を代えるチャンスとしては、ロンドン五輪が終わった2012年だったと個人的に思うんです。少なくともカナダでのワールドカップまで3年の猶予があったわけで、新たなチーム作りをするのであれば、ちょうどいいタイミングだったんじゃないですかね。

上野 それは僕もまったく同意見で、ロンドン五輪で一区切り、次の新しい体制で監督も選手もそれがベストだと思っていました。実は、ずっとなでしこを撮っているフォトグラファーの早草紀子さんも、あの時の人事には危機感を覚えていて「まずいよね。なんで佐々木さんのままなんだろう。このツケは絶対、どこかで返ってくるよ」って、言っていたんですよ。もちろん新しい監督になって、3年後のカナダがどうなっていたかはわからない。あまりいい結果を残せなかったかもしれないですけど。

──ただファン的には、この体制で臨んでほしいっていうのはあったんですかね。

石井 あったと思いますね。僕自身は代えても代えなくても、という感じでしたけど、ロンドン以後に新しいメンバーが加わって、さらに進化していくようなチーム作りを希望していました。ただし、佐々木監督が悪いというわけではないけれど、そうした次世代の選手がなかなか定着しなかったですよね。

──いちおう若い選手はいっぱい呼んでいたし、試していますよね。

石井 そう。試した結果、変わり映えしないメンバーになってしまった。その理由は外にいるファンにはわからない。

──やはり女子を追いかけている江橋よしのりさんもスポナビのコラムで「新戦力候補たちは、ベテランと融合するどころか、まるで『異物』のようにはじかれてしまった」と書いていましたね。

上野 それはふたつあって、まず石井さんが言われたみたいに、試したんだけど中途半端な試し方だったこと。使うなら、信じて使いきって、失敗してもいいから試し続けてもよかったと思います。もうひとつは、優勝チームとしてのチームの成熟度。戦術理解度も含めて、若い選手がイメージを共有するのは難しかったかもしれないですね。13年のナイジェリア戦だったと思うんですけど、田中陽子が途中出場して途中で下げられたことがあったんです。ノリさんは試合後の会見で「あれは完全に私のミスでした」といった趣旨のことを言っていましたけど、僕は戦術理解度の問題だったと思っています。

──いわゆる「2011年組」と、それ以降の年代との断絶って、想像以上ですね。

上野 その意味で言えば、北京五輪のメンバーってすごく理想的でした。キャプテンの磯崎さんたち30代のベテランがいて、澤さんたち中堅がいて、その下に宮間たち若手がいて、というバランス良い年齢構成だったんですよね。この北京五輪組の活躍があったからこそ、2011年につながっていく。それがドイツで素晴らしい結果を残したことで、メンバーが固定化されてしまった。戦術面でも新しいことができなくなってしまって、同じ手法の繰り返しになってしまったと。

石井 加えて言うと、若いメンバー中心で戦って結果が出なかったり、面白い試合にならなかったりすると、メディアに叩かれるわけですよね。そうした状態が続くと、やっぱり成功体験をなぞるような感じになりますよ、1回成功しているわけだし。成功したものを崩すというのは、ものすごいギャンブルだし、それを断行するのであれば、それこそ技術委員会みたいな仕組みがないと厳しかったと僕は思います。

──そもそも2012年の時点で、ノリさん自身も退任するつもりでいたみたいですよね。

上野 「大宮に戻るんじゃないか」なんて話もありましたけど。クラブ側も受け入れの意向はあったかもしれません。何しろNTT関東が大宮アルディージャになってからの、初代監督でしたし。

──JFAも後任人事を探したと思うんですけど、世界一になってバロンドールも受賞した監督の後任というのは、誰もなり手がいなかったのかもしれませんね。

石井 それは絶対にあったと思う。だからこそ、佐々木監督にすべてを依存するんじゃなくて、軌道修正をしたりチームの新陳代謝を促進させたりするような役割を担う部署なり人材なりが必要だったわけですよ。でないと、どうしても監督は守りに入りますよ。

──ノリさん、本当に孤独だったんでしょうね。

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