商社マンの道を選ばなかったことで見えたもの 添田隆司(おこしやす京都AC代表)<1/2>
地域CLの出場チームが、続々と決まっている。先週末は、北信越リーグで福井ユナイテッドFC、そして九州リーグで沖縄SVの優勝が決定。北海道十勝スカイアース(北海道)、コバルトーレ女川(東北)、おこしやす京都AC(関西)、FC徳島(四国)と共に、今年の地域CLに出場することとなった。
もっとも、北海道と東北と四国は、コロナ禍でリーグ戦が中止となった形での優勝決定。きちんとリーグ戦が行われた上で、最も早くに優勝を決めたのが、おこしやす京都(以下、お京都)であった。お京都といえば、今年の天皇杯2回戦で11のサンフレッチェ広島に5−1で勝利し、センセーションを起こしたことでも知られている。今週、ご登場いただくのは、お京都の添田隆司代表、28歳である。
Jリーグが開幕した1993年、添田さんは東京都に生まれた。小中高と筑波大付属で学びながら、横浜バディーFCでサッカーを始め、高校時代は横河武蔵野FCユースでプレー。東京大学に進学すると、ア式蹴球部に所属して主将も務めた。ここまでは絵に描いたような「文武両道のエリート人生」だが、ここから先のキャリアが実に興味深い。
三井物産の内定を蹴って、藤枝MYFCで史上2番目の「東大卒Jリーガー」となり、2017年に関西リーグのアミティエSC京都で現役を引退。翌18年12月、アミティエからおこしやすと改名したクラブの代表に就任して現在に至っている。しかも「スポーツビジネスに興味があったわけではない」というから、ますまず謎めいたキャリアに思えてくる。
私の経験則によれば、勉学もスポーツもできる人が破天荒とも思える決断をする場合、実は怜悧なロジックに基づいていることが多い。添田さんの場合も、そのケースに当てはまるのではないか、というのが私の第1の仮説。そしてそれは、将来のJリーグ入りを目指す、お京都の戦略にも反映されているのではないか、というのが第2の仮説である。
この2つの仮説を懐に忍ばせつつ、史上2番目の「東大卒Jリーガー」のその後を振り返っていただきつつ、京都府に第2のJクラブが誕生する可能性についても探ってみることにしたい。(取材日:2021年9月4日@京都)
<1/2>目次
*なぜ天皇杯でサンフレッチェ広島に大勝できたのか?
*三井物産の内定を蹴って藤枝への入団を決めた理由
*「運営側に回って女川やテゲバを抜き去ってやろう」
■なぜ天皇杯でサンフレッチェ広島に大勝できたのか?
──今日はよろしくお願いします。本題に入る前に、天皇杯2回戦でJ1のサンフレッチェ広島に5−1で勝利した試合の振り返りと、その後の影響について伺いたいと思います。あの試合は現地(広島)でご覧になったそうですが、勝因は何だったのでしょうか?
添田 一言で言えば「おこしやすにとって90分間、いい流れで戦うことができた」ということでしょうか。相手の心理状態も含めて、流れにも助けられました。とはいえ、チームに実力がなければ、さすがにまぐれであのスコアにはならなかったとも思います。もともとの実力に、いい流れが加わったことでの勝利だったと思います。
──ダイジェスト映像しか見ていませんが、序盤は押し込まれる展開だったようですね。
添田 開始早々、相手にファーストチャンスがあって、決められそうになったところでGKのファインセーブがありました。それから25分くらいまでは、ずっと攻められる展開が続いていましたね。やはり相手のプレッシャーや個々の選手の強度が、普段戦っているリーグと比べて明らかに上でした。それでも何とか守っているうちに、相手のミスも絡んで2ゴールを挙げることができました。
──28分に青戸翔、38分に高橋康平でしたね。しかし広島も、前半アディショナルタイムに柴﨑晃誠のゴールが決まり、おこしやすの1点リードでハーフタイムを迎えます。平常心を保つのが難しい展開だったと思いますが。
添田 おそらく向こうは「この調子でやっていけば逆転できるだろう」という感じだったと思いますが、われわれは「J1は決して甘くない」という気持ちで後半に臨みました。後半も30分くらい劣勢に立たされていましたが、CKのチャンスから練習通りの形で3点目(77分=高橋)が入ったんですね。そこから相手がバランス度外視で攻撃を仕掛けてきたので、それを突くような形で4点目(80分=林祥太)と5点目(89分=イブラヒム)が入ったという感じでした。
──天皇杯では時おり、こうした番狂わせは起こります。けれども、優勝経験もあるJ1クラブを相手に、関西リーグ所属のクラブが5−1で勝利したというのは、非常にレアケースだといえるでしょうね。試合後、かなりメディアの注目度が上がったと思うのですが、いかがでしょうか?
添田 サッカーファンの間では、おこしやす京都ACの名前を、何となくご存じの方もいらっしゃるかと思います。とはいえ一般的な知名度は、それほど高いわけではありませんでした。それがあの勝利をきっかけに、NHK京都さんが特集を組んでくれるなど、一気に知名度が上がったようには感じますね。
──でも当時のSNSなんかを見ていると「おいでやす京都」と勘違いしている人が一定数いましたね(笑)。
添田 そうでしたね(笑)。多種多様な書かれ方を見ましたが、それはそれで面白かったです。
(残り 3480文字/全文: 5664文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ