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【無料公開】モリヤスハジメとは何者か? 後藤健生✕中野和也✕宇都宮徹壱<1/2>

写真提供:紫熊倶楽部

■長崎日大からマツダへ、そしてオフトとの出会い

 ──中野さんが初めて、森保さんに取材したタイミングはいつ頃だったんでしょうか? 

中野 僕は1995年からフリーになって、サンフレッチェを担当させてもらったんですけど、その年に1時間ほど森保さんにインタビュー取材させていただくことになったんです。ただ、森保さんはアポイントを忘れていたみたいで、シャワーを浴びたらさっさと帰ってしまったんです(笑)。僕は練習が終わって、2時間くらいクラブハウスで待っていたんですけど、あまりに遅いと思って広報に聞いたら「え、行ってませんか?」みたいな感じになって。

──それでどうなりました?

中野 森保さんと電話がつながって、現役の日本代表が平謝りですよ。「申し訳ないです!」って10回くらい繰り返されて。でも、こちらも締め切りが迫っていたので、そのことを伝えたら「それなら今から自宅に来てください。何時間でもしゃべりますから」と。

──いきなりご自宅に行ったわけですか?

中野 そうです。行ったら奥様の豪華な手料理があって、「お酒、飲まれますか?」って聞かれたので「車なので」って言ったら、「僕も飲まないので大丈夫です」って言いながらごちそうになったんですね。お子さんたちがまだ幼稚園くらいの頃で、こちらがインタビューしている時にキャッキャしているから「コラーっ!」って森保さんが(笑)。インタビュー内容は記憶していないんですけど、とにかく「森保選手って、いい人だな」と思ったことはよく覚えています。

後藤 「いい人」って言えば、この間中国でU-23の大会があったんですけど、帰国後に取材者全員を招待して飲み会を森保さんがセッティングしてくれたんですね。そういうことって、今の時代にはあり得ない。本当に素晴らしい人だね。

──そんな森保さんですが、出身は長崎県なんですよね。実は中野さんも長崎県出身で、今は広島在住という同じコースなわけですが。

中野 そうですね。ただ僕は、森保さんみたいに長崎市内の都会育ちじゃなくて、前川さんの出身地である県北部の平戸の近くなんですよね。

──なるほど。長崎時代の森保さんって、プレーヤーとしてはほとんど目立たなかったことで有名ですよね。出身の長崎市立深堀中学校とか長崎日本大学高等学校って、サッカーは強かったんでしょうか?

中野 深堀中学校はよくわからないですけど、長崎日大というのはスポーツではそれなりに力を入れている高校です。ただし長崎といえば、やはり高木さんがいた国見高校でしたから、ほとんど全国大会の経験はなかったと思います。

──今、気がついたんですけど、高木、前川、森保って、みんな長崎出身でマツダに入って、さらには日本代表に選ばれていますよね。これは偶然でしょうか?

中野 どうでしょうね。当時の事実関係はよくわからないですが、今西さんをはじめとするスタッフの皆さんが、長崎にもよく視察に行っていたのではないでしょうか。ちなみに森保さんの場合、初年度はマツダの子会社のマツダ運輸の採用だったんですよね。要するに、マツダの採用枠から外れていたんです。

後藤 これは補足説明ですけど、当時の企業チームっていうのは、みんなそうでしたね。例えば今の浦和レッズは三菱重工サッカー部だったわけですが、実際に重工に勤めていた選手は一握りで、あとは子会社に雇われていたんですよね。

──それ、聞いたことあります。三菱だと大卒は重工で、高卒は子会社が引き取ったそうです。森保さんも高卒入社でしたよね。

中野 そうです。今西さんが採用して、そこにコーチとして来ていたハンス・オフトに出会ったことが大きかったと。

後藤 森保がマツダに入ったのは、高校の先生が今西さんと知り合いで「(試験を)受けてみないか」と言ったのがきっかけでしたよね。そこでオフトに出会って代表に抜てきされるというのは、ちょっとあと付けっぽい話なので、僕は好きではないんだけど(苦笑)。それでも、彼が人間関係を大事にする人だったから、そうした縁に恵まれたというのはあるんでしょうね。

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