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【無料公開】モリヤスハジメとは何者か? 後藤健生×中野和也×宇都宮徹壱<2/2>

■広島から続々と輩出される優秀な指導者たち

 ──ここまでの森保さんのキャリアを振り返ってみて、いくつかポイントとなる部分が見えてきました。まず、広島で育成に関する指導のノウハウをじっくり学んできたこと。そして新潟のコーチとして、広島の戦術やシステムをしっかり研究していたこと。客観的な視点でペトロヴィッチのサッカーを把握していたからこそ、広島の後任監督に就任したときにスムーズにチームを掌握することができたんですね。

中野 そのとおりです。後藤さんも仰っていたように、現役時代の森保さんは、頭脳的なプレーヤーで、かつ研究熱心でした。現役時代から詳細なノートをつけていて、外国人選手に「お前、監督になるつもりなのか?」って冷やかされたりしていました。実際、そうなったわけですけど(笑)。森保さんの分析力については、確かに新潟で培われてきたんですけど、実は広島時代も分析担当だったんですよね。

──なるほど。ここでちょっと視点を変えてみたいと思います。後藤さんは長年、いろんなタイプの選手を見てきて「こいつは将来、いい監督になりそうだな」っていうタイプって間違いなくいると思うのですが、いかがでしょうか?

後藤 そういうタイプは確かにいますね。岡田武史や森保なんかは、現役時代から「こいつは現役を引退したら指導者になって、間違いなくある程度は成功するだろうな」と思っていました。逆に高木琢也は、あんなにいい監督になるとは夢にも思わなかった(笑)。何も考えずにプレーしているとばかり思っていたから。この間、森保に高木の話題を振ったら、「あんな細かいやつだとは思わなかった」って言っていましたよ。

──確かに、V・ファーレン長崎でも緻密なサッカーをしますよね。それにしても、森保さんにしても高木さんにしても、あと風間さんにしても、皆さんマツダ=サンフレッチェ広島の出身ですよね。なぜあそこから、優秀な指導者が続々と輩出されているのでしょう?

中野 なぜでしょうね。やはりオフトの影響でしょうか?

後藤 オフトの遺産って、間違いなくあったと思いますよ。オフトが広島のコーチになった頃って、読売クラブにブラジル人の指導者が来る少し前なんだけど、当時の日本で具体的な指示で個々の選手に役割を与えていた監督なんて、ほとんどいなかったからね。もちろん今から見たらすごくプリミティブな戦術だけど、その時に薫陶を受けた選手たちがいい指導者となっていったのは自然なことだったのかもしれない。

中野 僕はその時代を取材してないので、あと付けの知識でしかないのですが、広島は昔から戦術的な方向でチーム作りをしていく必然性があったんですよね。当時も今も予算が限られていたので、特別なタレントをたくさん引っ張ってくることができなかった。だからこそ今西さんがオフトを連れてきて、そのオフトの遺産が広島を巣立っていった選手たちに受け継がれているんでしょうね。

──そういえばマツダOBで、今はヴァンフォーレ甲府の監督をやっている上野展裕さん。レノファ山口の監督時代、お話を伺って印象的だったのが「自分がオフトで、社長の河村(孝)が今西さんみたいな感じになるのが理想でした」というコメントでした。それくらい、マツダ時代のオフトと今西さんの関係性と役割分担は素晴らしかったみたいです。

中野 ちょっと脱線しますけれど、エディ・トムソンというスコットランド人監督が広島を指揮していたときに、通訳をしていたのが上野さんだったんですよね。このトムソン監督、もうお亡くなりになりましたけれど「俺がボスだ!」という感じの人で、上野さんもよく叱られていたんですね。ある時、「若手が自分の指示通りにしていないのはお前のせいだ」って言われた時、上野さんも頭にきたんでしょうね。突然、椅子をピッチに投げつけたんです。試合中にですよ!

──ええっ! ものすごく温厚なイメージがあったからびっくりです。

中野 実は直情径行なところがあるんですね。でも山口や甲府で、あんなに緻密なサッカーをしていたので、ちょっと不思議な感じでしたね。余談ついでに言えば、これも上野さんが通訳時代の話なんですけど、中国新聞の番記者さんに「なんですか、あの記事は! あなたサッカーがわかっているんですか?」って(笑)食って掛かったこともありましたね。

──それ面白い! いやー、上野さんの話題でこんなに盛り上がるとは(笑)。

後藤 監督って、どうしていちいち記事をチェックするんですかね(笑)。ペトロヴィッチなんて、通訳の杉浦大輔さんにみんな翻訳させているみたいだし。僕も一度、本人から怒られたことがありましたよ。

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