宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】モリヤスハジメとは何者か? 後藤健生×中野和也×宇都宮徹壱<2/2>

■「1−0での勝利」と「鹿島のような勝負強さ」

 ──ペトロヴィッチの話題が出たところで、話を戻したいのですが(笑)。一般的に森保さんは「ペトロヴィッチのサッカーを引き継いだ」ということになっています。確かに可変式3バックは引き継いだし、U-21代表でも基本的に3バックで戦っていますけど、A代表ではずっと4バックですよね。つまり、たまたま前任者がペトロヴィッチだったから、広島ではそのサッカーを継承しただけで、A代表での森保さんは独自のスタイルを模索しているようにも感じられるのですが。

中野 ペトロヴィッチという人は、みなさんもご存じの通りロマンチストなんですよね。負けたらすぐ「美しい死」とか言ってしまう。その「美しい死」を繰り返したことで、2007年には降格してしまったんですけど(苦笑)。それに対して森保さんが理想としているのが、実は「1−0での勝利」なんですよ。「勝負強く、泥臭くても勝つというのが好みだ」みたいなことも口にしています。

──「1−0」ということは、イタリアみたいなサッカーが好みなんでしょうか?

中野 というよりも、鹿島アントラーズのような勝負強さが、彼の目指すべき理想なのかもしれない。ただ、最近の日本代表の戦いはちょっと信じられないんですよ。昨日のウルグアイ戦の4−3というスコアもそうだし、ここまで3試合で10得点というのも、広島時代のことを考えるとね。2012年の優勝は攻撃的な印象が強いですが、13年は攻撃的というよりも「1試合平均失点0.85」という守備力による優勝というイメージが強い。

──13年は51得点で、ゴール数では8番目。失点は29でリーグ最少でした。この年が森保さんらしい優勝だったのでしょうか?

中野 森保さんの力が一番発揮できたのは、僕は3回目に優勝した15年だと思っています。この年は高萩がいなくなったし、森崎浩司も病気でほとんど試合に出られなかった。それでも、ドウグラスと浅野拓磨がゴールを量産して、リーグ最多得点(73)と最少失点(30)でしたから。

──後藤さんは、3回のリーグ優勝をした広島時代の森保さんをどう見ていますか?

後藤 さっきも言ったけれど、最初はペトロヴィッチが作ったサッカーをどう受け継ぐんだろうって思っていた。そうしたら、いきなり優勝したでしょ? すでに攻撃面では完成していたチームだったから、そこに守備の部分を補完して上手くかみ合ったという印象。

 要するに、ペトロヴィッチの遺産を上手く使ったわけだよね。でも、いつまでもそのやり方が通用するわけではない。相手も研究してくるし、選手も入れ替わるからね。そうしたら、同じスタイルを継続しながらも、だんだん森保カラーに染めていきながらまた優勝した。これは大したものだと思ったね。

中野 ただ、森保一がペトロヴィッチの後任になったのは偶然ではなくて、そこはクラブとしての明確な戦略があったことは強調しておきたいですね。というのも、12年に森保さんを招へいした当時の本谷祐一社長は、「たとえJ2に落ちたとしても森保体制を続ける」と公言していたんです。

 それくらい絶対的に彼を信頼していたし、全面的にバックアップしていました。その前任の久保允誉社長(現会長)も、ペトロヴィッチが1年目でJ2に降格した時には「誰が何と言おうとも、ペトロヴィッチに指揮を執ってもらう」と言って、どんなに地元メディアから攻撃されても頑として譲らなかった。

後藤 広島は本当に偉いよね。チームを2部に降格させた監督に、何もブレることなく続けさせるなんて、なかなかできることではないから。ちょっと間違えると、コロコロ変えるクラブが頭にいっぱい浮かんできますよ(笑) 

──確かに(笑)。それにしてももし、広島が1年でペトロヴィッチを切っていたら、どうなっていたでしょうね。広島だけの問題ではなく、浦和での6シーズンも、今の(北海道コンサドーレ)札幌の躍進もなかったでしょう。さらに言えば、森保さんの広島での成功もなかっただろうし、日本代表監督に就任することもなかったかもしれない。そうして考えると、当時の久保社長の決断というのは、日本サッカー界にとっても非常に大きな意味を持っていたんだなと、あらためて思います。

<この稿、了>

前のページ

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ