森保監督から「ジーコ時代」が透けて見える理由 われわれは今の日本代表から何を愉しむべきか?
2021年最後の日本代表のゲームは、自宅でのDAZN視聴となった。これまで3回訪れたことのある、オマーンの首都・マスカットにある、スルタン・カブース・スポーツコンプレックス。デジタルデバイスの画面越越しに眺めるのは、実に新鮮で奇妙な気分である。
「やっと三笘を使うか!」
「このタイミングで南野を替える?」
「でも大迫は替えないんだ」
「それにしても今日のDAZNはよく途切れるな(ウチだけ?)」
「よっしゃ、伊東純也!」
現地で取材していれば、スポナビでコラムを書かせていただいていただろうが、あの試合を見て何も書かないのは気分はよろしくない。さりとて、いわゆる「こたつ記事」を書くのは、もっと気分がよろしくない。そんなわけで今回は試合そのものよりも、もう少し俯瞰的な視点から、日本代表の現在地についてのコラムを書いてみようと思った次第である。
今年最後の試合は、幸いにして1−0で日本が勝利。裏の試合で、オーストラリアが中国に引き分けたため、3連勝となった日本は2位に浮上した。ほっとはするものの、さりとて心からの安堵も熱狂もない、この空虚な感情は何に起因するのだろうか。2021年の代表戦が終わった今、自分自身が体験してきた日本代表取材について、あらためて振り返ってみた。
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