宇都宮徹壱ウェブマガジン

Jリーグが新体制となった今だから考える 村井満を理解するための7つのキーワード

 先週の土曜日、BSフジで放映された『日本プロサッカーリーグ誕生30年 Jリーグの灯をつなぐ男たち』を後追いで視聴した。「30年」と銘打ちながらも、実際にフォーカスしたのは村井満チェアマン時代の8年間。いろいろあった8年間を1時間の放送枠の中に凝縮させるのは、かなりの力技が必要だったはず。他の取材対象も豪華な中、それでもテーマが散漫にならず、完成度の高い作品に仕上がっていたと思う。

 先週に掲載した野々村芳和新チェアマンのコラムは、おかげさまで多くの方々に読んでいただけた。間もなくワールドカップ予選の大一番があり、それが終わったら村井前チェアマンの時代はすっかり過去のものに感じられることだろう。そんなわけで今週は「村井満とはどのような人物だったのか?」について、7つのキーワードを挙げながら読み解いていくことにしたい(以下、呼称は「村井さん」で統一する)。

Key Word 01】異端

 村井さんのチェアマン就任の特異性について、よく「Jクラブ社長出身でない」とか「サッカー界出身ではない」といった解説を耳目にする。とはいえ、初代チェアマン(川淵三郎氏)はJクラブの社長経験はないし、村井さんの前任(大東正美氏)はラグビーの出身。村井さんの異端ぶりを表現するなら、むしろ「ビジネス界で成功した初めてのチェアマン」のほうが的確である。

 初代チェアマンの川淵さんは「(古河電工時代)51歳での左遷からすべてが始まった」と語っている。端的にいえば「ビジネス界での成功」がなかったからこそ、サッカー界への貢献を生涯の目標としたわけである。その後の歴代チェアマンには、鹿島運輸社長(鈴木昌氏)やヤンマーマリナックス社長(鬼武健二氏)といったキャリアの持ち主もいる。が、チェアマンに選出された決め手が、そこにあったとは思えない。

 村井さんの場合、リクルートエージェントの代表取締役社長、リクルート本社執行役員(アジア担当)、さらにはRGF Hong Kong Limited(香港法人)社長を歴任している。あくまでビジネス界の成功者として、チェアマンに迎えられたからこその「異端」。任期が8年もあったので、われわれもすっかり村井さんに馴染んでしまった感はある。それでも30年というスパンで見れば、まさに「異端のチェアマン」であった。

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