【追悼】オシムさんが僕らに語ったこと 千田善×長束恭行×森田太郎<2/2>
<2/2>目次
*日本代表監督時代の通訳がスムーズだった理由
*「ジェフのことはずっと気にされていましたね」
*「オシムをどう扱うか」でメディアが試される
■日本代表監督時代の通訳がスムーズだった理由
──長束さんの場合、取材者としてオシムさんと向き合うことも多かったわけですが、通訳に比べるとリラックスして臨めたという感じだったんでしょうか?
長束 そうですね、取材者として1対1で向き合う時は、フランクにサッカーについて語り合える話し相手という感じでした。もちろん、最初から心を開いてくれるわけではないのですが、それでも別れ際には「また来なさい」と言ってくれたりして、人たらしだなと(笑)。ただし、なかなか私の名前を覚えてくれなかったですね。「おお、スロベニア人、また来たのか」とか冗談で言われて。NAGATSUKAって名前を覚えるのが面倒だったのかもしれませんが、最後まで名前で呼んでくれたことはなかったです。
──皆さんはオシムさんの母国語でコミュニケーションしていたわけですが、先程の長束さんのお話にもありましたように、これが通訳となるとかなり難易度が高かったように思います。その意味で千田さんの通訳は、オシムさんとぴったり息が合っていていつも感心していたんですが、どんなコツがあったんでしょうか?
千田 まずは慣れですね。それと記者会見の時に、記者さんから見えないテーブルの下で「ちょっと待って」というハンドサインを出して、その間に日本語に翻訳していました。個別の取材対応について言えば、事前に質問を伝えてもらうようにしていたんですが、項目が10以上もあるのを1時間に押し込むのは無理があるんですよ。「これだと3時間くらいかかるから、1時間での質問であれば3つに絞ってください」とお願いするようにしていました。
──それ、よくわかります。「たった3つ?」と思われるかもしれないですけど、そこからさまざまなテーマに話題が広がっていきますからね、オシムさんの場合。
千田 そうなんですよ。3つの大きなテーマに、それぞれサブクエスチョンをグループ分けしてもらって、それを交通整理するように心がけていました。思いついたことは、どんどん言葉にしていく人でしたから、それが脱線しているように見えてしまうんだと思います。質問する人には「オシムさんに何を一番語ってほしいのか」ということを、しっかり考えてもらうようにしていました。
長束 インタビュー取材ということで言えば、杉山茂樹さんとか後藤健生さんがオシムさんにインタビューした時に通訳を担当したんですが、あの人は無愛想に見えて実はけっこうな人たらしなんです。杉山さんが当時主張されていた「サイドアタッカーが試合を決める」という持論を展開した時に、オシムさんが「そのとおりだな」と言ったら、もうイチコロでしたよ(笑)。
後藤さんにはインタビューの最後になって「貴方が会見ではいつも前の席に座っていたのを知っている。あの白髪の日本人には注意が必要だと思っていた」なんてことを言うわけですよ。そうしたら後藤さんもイチコロで(笑)、その後はオシムさんの話になると大絶賛でしたよね。通訳しながら「こんなふうに何人ものジャーナリストが篭絡されていったんだな」と。これもまた、オシムさんの言葉の力なんだと思いました。
──森田さんは、オシムさんの人たらしの面って感じたことはあります?
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