宇都宮徹壱ウェブマガジン

写真で振り返る「2002年の記憶をめぐる旅」<新潟・静岡篇>

 今週と来週は、THE ANSWERにて連載中の日韓W杯20年後のレガシーにて寄稿した原稿と写真をもとに、フォトギャラリーとインタビュー記事をセットでお届けする。今週は<新潟・静岡篇>、来週が<宮城・大分篇>。字数やスペースの関係で、連載からこぼれ落ちた内容を再構成したものだが、単なるリサイクル企画でない。それは本稿をお読みいただければ、ご納得いただけると思う。

 さて、今日は6月23日。20年前のこの日、私は何をやっていたかというと、前夜にクァンジュで行われた韓国vsスペインのコラムを、ホテルでウンウンうなりながら執筆していた。ラウンド16のイタリア戦に続き、準々決勝のスペイン戦でも(いろんな意味での)ミラクルを起こし、PK戦の末にスペインを破って準決勝に進出。四強達成に韓国中が沸き立っていた頃だ。

 一方、日本はどうなっていただろうか? 埼玉での準決勝(ブラジルvsトルコ)と横浜での決勝は残していたものの、日本代表の終戦から5日が経ち、そろそろ後片付けのモードに入っていたのではないか。とりわけ埼玉と横浜以外の8会場は、てんてこ舞いだった日々を懐かしんでいたのかもしれない。

 あれから20年。当連載で私は、大会のレガシーを市井の人々や土地に求めた。20年という歳月は、記憶や痕跡を採取できる、絶妙のタイミングだと思う。その意味でも、非常に得難い取材経験となった。そこで一連の取材のインサイドストーリーを、当WMでも皆さんに披露しようと考えた次第である。

 旅のスタートは4月10日。ちょうど新潟市内で桜が一気に開花したタイミングだった。新潟を連載の第1回に選んだ理由は3つある。まず、ワールドカップ直前の当地の状況をリアルで知っていたこと。実は2000年に「新潟でのワールドカップへの認知度が、あまりにも低いので協力してほしい」と相談を受け、駅前の商業施設で海外サポーターの写真展を開催したことがあった。

 2つ目の理由は、日本での開幕戦が新潟で行われたこと。6月1日、ビッグスワンで開催されたアイルランドvsカメルーンが、日本でのファーストマッチである(結果は11のドロー)。そして3つ目の理由が、新潟のワールドカップが市井のサッカーファンのボトムアップに支えられていたこと。「アライアンス2002」という勝手連が生まれたのは、開幕2年前の2000年。私の写真展を企画してくれたのも、このアライアンスであった。

 アライアンスは、アルビレックス新潟の運営ボランティアを積み重ねて得たノウハウを、新潟の組織委員会に惜しみなく提供。一方「もくはちクラブ」という自由参加型のフットサルイベントは、20年が経過した今も続いている。新潟の街に「サッカーのある風景」が定着したのは、間違いなく彼らの貢献に負うところが大きかった。ご無沙汰していたサッカー仲間との再会も実現するなど、とても充実した新潟取材であった。

 翌日は、クロアチア代表のキャンプ地となった十日町に移動。案内してくれたのは、生まれも育ちも十日町、新潟県サッカー協会理事の若山裕さん(右)。そして日本語が流ちょうなクロアチア人で、現在は十日町市教育委員会にて国際交流を担当しているスヴェン・ビエランさん。ちなみにスヴェンさんのお兄さんは料理人で、ザグレブにある『レストラン・ボバン』でシェフをしているそうだ。

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