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アジア20カ国でプレーした「アジアの渡り鳥」が、タイ・バンコクを拠点に描く新たな夢「チャレンジャス・アジア」とは?【伊藤壇インタビュー<1/2>】(無料記事)

 

1999年にベガルタ仙台を退団したあと、「1年1カ国」をテーマにアジアのリーグを転戦してきた「アジアの渡り鳥」こと伊藤壇。2001年にシンガポールで幕を開けたアジアの旅は、2017年の東ティモールまでで計20カ国を数える。今でこそアジアのリーグで日本人選手がプレーするのは当たり前の時代となったが、2001年当時にアジアに戦場を求めて羽ばたいていく日本人選手はほとんどいなかった。伊藤はその先駆けのひとりと言える。

43歳を迎えた伊藤は今、タイの首都バンコクを舞台に新たな挑戦を始めている。アジアのリーグに挑戦する日本人選手たちをバンコクに集め、ともにトレーニングをしてコンディションを整えながら移籍に向けた準備をする。そして、伊藤自身が長年のアジアの戦いで築いてきたコネクションを生かしてエージェント的な役割も果たすことで、選手たちはバンコクを拠点にアジア各国のリーグへと羽ばたいていくのだ。「チャレンジャス・アジア」と名付けられたこの活動は、「アジアの渡り鳥」と呼ばれた伊藤ならではのセカンドキャリアの形と言えるだろう。

このオフも12月から1月にかけて、アジアのリーグに挑戦する日本人選手たちがバンコクに集った。その始動日となった昨年12月10日、バンコク都心の大学内にあるピッチで参加選手たちとともにトレーニングに汗を流す伊藤を訪ねた。

<目次>
◎バンコクはアジア挑戦の最高の拠点
◎関わった選手は100%の確率で契約させたい
◎拡大する日本人選手のアジアの戦場

バンコクはアジア挑戦の最高の拠点

──まずは、「チャレンジャス・アジア」の活動を始めたきっかけを教えてください。

伊藤 4年前にスタートしたんですが、僕自身の経験から立ち上げた活動でした。アジアのリーグのクラブとの契約を目指してチームの練習に参加している時などはいいんですが、それ以外の時間は何週間も公園などで一人でボールを蹴っているしかないような状況がけっこうあるんです。そういう時期のつらさはよくわかっているので、アジアのリーグに挑戦する日本人選手が年々増えてきたなかで、そういった状況を解消してメンタルと体のコンディションをケアできる環境が必要だと感じていました。それで、自分のコンディション調整の意味も含めて、日本人選手をバンコクに集めて一緒にトレーニングをしようと思ったのがきっかけでした。今は選手たちから1日100バーツ(約350円)を活動資金としてもらっているんですが、今後はスポンサーをつけて逆に選手たちに食費程度の金額を出してあげられるようにしていきたいと思っています。

──なぜ、その活動の拠点をバンコクにしたのですか?

伊藤 気候や治安がよく、練習環境が整っている上に物価も安いですからトレーニングには最適の地なんです。また、バンコクには東南アジア諸国はもちろん、アジアのどの国にも行きやすいハブ空港があることも大きな理由ですね。たとえば午前中にカンボジアのチームから練習参加のOKが出たとしたら、その日の午後のトレーニングに参加するといったこともバンコクにいれば可能。さらに、この時期のバンコクにはアジア各国のチームが強化合宿に訪れるので、場合によってはその国に出向かなくてもトライアルに参加できるというメリットもあるんです。日本にいるとどうしても、「バイトをすぐにやめられない」とか「飛行機のチケットが……」とか、なんだかんだで早くても2、3日後の出発になってしまう。そうなると状況が変わってチャンスを逃すことにもなるので、まずはアジア挑戦のベストの拠点と言えるバンコクにいることが重要だと思っています。

──まずはバンコクに来る、そこからすべてが始まると。

伊藤 そうですね。まずはここに来てもらう。アジアのクラブに紹介する上でも、自分の目でその選手のプレーや人間性を見ておくことが絶対に必要だと思っているので。選手の特徴を見極めてマッチするところを紹介したいですし、プレーはいいけれど人間性に問題があるような選手を紹介してしまったら、長年かけて築いてきたコネクションや信頼を失うことにもつながってしまいます。CV(履歴書)だけ送られてきてもどこの誰だかわからないので、そういった意味でもまずはバンコクに来てもらう。ここまで来て「お願いします」と言われたら、僕も面倒をみなきゃな、という気持ちになりますから。

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